90年以上を山で過ごした叔母が山を... by 橙 | ShortNote

90年以上を山で過ごした叔母が山を下り、町の施設で暮らすようになって1年が過ぎた。時々会いに行くと少し涙ぐみながらまだまだ山にいたかったと、山と畑の話ばかりしていた。毎年今頃はこれこれこうしていた、そろそろミョウガがでている頃だ、稲刈りの後の藁は取っておいて苗の間に敷け、畑が始まったら植えるときはこれこれこういう風にしろ、道沿いの花畑は草だらけになっていないか、物置の奥にあるマンノウはガタガタするが直せば使えるから持って行け…
節くれだった真っ黒な手を隠そうともせず、身ぶり手ぶりを添えて叔母は機関銃のように早口でしゃべり続けていた。「おれはな、子供の頃は新しいズボンも買って貰えなんだでな、膝小僧に穴があいた時はその辺にあった布の米袋を切って“つぎ”をあてたぞ。米の袋は丈夫だったでな。みんながそれを見て褒めてくれたもんだ。」「畑もな、今みたいに肥料なんて買えなかったでな、山へ行って落ち葉かき集めで来てさ、みんなひとりで撒いたもんだ。」「水だって1滴も無駄にはしなんだぞ。わき水はいくらでもあるが、お湯を沸かすには銭がかかるで、野菜茹でたお湯で洗い物して節約したでな。」「わんら(お前たち)銭は大事にしろよ。おれは連れ合いも子供もないで、人に迷惑かけちゃいけんと思って一生懸命貯めたが、わんらだって子供の将来もどうなるかわからないでな、自分たちの始末は自分たちでつけるようになることだって無いとは言えないで、今からそういうことも考えておけよ。」
叔母の言葉は一つ一つ身にしみる。貧しさの中、人に迷惑をかけまいと、学校もろくに出ていなくとも人に笑われたり後ろ指さされたりしないようにと、必死で生きてきた叔母の言葉だからこそ。「人はな、K子(叔母)はいつも汚い格好で畑にばかりいるって笑ってたがさ、だけどもおれはこうなってもS(弟)には一銭も迷惑かけてないでな。」
叔母は、後見人になっている自分の弟夫婦に負い目を持たずにそこにいられることが自慢だった。お金のことばかりではない。自分の生き方に誇りを持っている。遊んで楽をする事を良しとしなかった叔母だから、未だに働きもせずに自分のために使うことを贅沢だと思っている。もう、じゅうぶん頑張ってきたんだから少しは楽していいんだよ、一生懸命働いて自分で貯めたお金なんだから、自分が楽しめるように困らないように使ってねと言って別れてきたものだった。
つい先日、叔母に会いに行って来た。インフルエンザとノロウィルスの感染防止のため、ずっと面会が制限されていたので久しぶりだった。面会室に現れた叔母はずいぶん色白になっていた。「よく来てくれたなあ。」とにこにこしながら、ここでどんなによくしてもらっているか、毎日が安心で楽しいか話してくれた。「ワタシは毎朝一番に新聞を読んでるもんで、みんなより早くいろいろニュースがわかるだ。みんながワタシのことを褒めてくれるだよ、おばさんはよく物を知ってるなぁって。」それから、山の畑からミョウガを一株持って来てくれと。「ここは庭でキュウリやらトマトやらは作ってるけど、ミョウガがないでなぁ。ちょっと寂しいだよ。」そういえば、叔母は長靴を買ってもらってここの小さな畑の草むしりをさせてもらってるって叔父(弟夫婦)さんが言ってたっけ。叔母は自分の選択に満足し、ここでの生活を叔母なりに叔母らしく過ごせているんだなあと思ったら嬉しかった。機関銃のような荒っぽい山の言葉はすっかり影を潜め、自分のことを「おれ」と呼んでいた叔母はいつしか「ワタシ」と言うようになっていた。「また来るね。」「ありがとよ。風邪引かないようにな。ここはいいとこだで、ワタシのことは心配いらんでな。」穏やかに言う叔母の指は昔のままに節くれだってはいたけれど、シワのないすべすべの手になっていた。
今年93歳になる叔母。
いろいろなことで怒られもした。時代に合わないと反発したこともあった。でも、いつだって叔母の生き方はまっすぐだった。強気で自分の信念は決して譲らなかったから煙たい時もあった。弟夫婦の世話になることを断り、今の生活を選んだ叔母から昔の面影が少しずつ薄れていくことに、正直いえば一抹の寂しさを感じている。
真っ黒に日焼けした顔や手、何度も洗って何年も着続けて色もさめたモンペや、動きやすいからと男物のダブダブのヤッケ姿で畑にいて機関銃のようにしゃべり、土まみれで働いていた叔母の姿を、私は忘れずにいたい。