会計事務所勤めのおばちゃんが占い師になるまで

うちの親戚に、占い師のおばちゃんがいる。
易占(卜筮、筮竹占い)がメインで、姓名判断がサブ。筮竹(ぜいちく)をジャラジャラやって、改名や命名のお手伝いなんかしてる。
おばちゃんの顧客は、中小企業の社長さんやらお店のオーナー、地方議員。だから、私がおばちゃんのいる地方に遊びに行くとお得。旅館やホテル、寿司や割烹など色々と便宜を図ってもらえる。ただ、バイクで行くには遠い場所なので、滅多に行けないのだが。
妹である私の母が死んでからも、なにかとよくしてくれる優しいおばちゃんである。

母に聞いた話……
おばちゃんは結婚していた頃、ひじょうに苦労をしていた。旦那は国際的に有名な食品メーカーの営業マンだったが、浮気とギャンブルが酷い人。子供が二人いるのに、まともに生活費をいれない。おばちゃんは、早朝は市場にパートへ出て、昼間は会計事務所に出勤…… という働きづめ。
ある日、会計事務所からの帰り、辻占い(街角の占い師)の老人に声をかけられた。
「あんた、ちょっとだけ寄ってきなさい。お代はいいから」
で、筮竹をジャラジャラやって、一言。
「旦那さんに保険をかけておきなさい。一年以内だね。事故だよ」
おばちゃんは(なにを言ってるんだか。縁起でもない)と信じず、表面上だけ「はいはい」と聞いて帰宅。たまたま、家のポストに共済のチラシが入っていたので、なんとなく老占い師の言葉を思い出し、とりあえず何口か申し込んだ。
それから8か月後、旦那は交通事故で死ぬ。営業車運転中に、居眠り運転のトラックに突っ込まれたのだ。ほぼ即死だったという。
葬儀だなんだとバタバタしたが、とりあえず数千万円の保険金が遺された家族に入った。家のローンを払いきって、子供たちの学費まで賄える大金である。まっとうに働いていれば、それなりに生活ができる額が手元に残った。
……と、ここまでが母から聞いた話。

ここからは、おばちゃん本人から聞いた話。
おばちゃんは旦那の四十九日法要を終えて、辻占いの老人を探した。が、全く見つからない。手がかりもない。子供たちが学校に行っている間、地方都市のあちこちを訪ねまわって歩いた。
最初は一言でも御礼を言うつもりで探していたのだが、1週間経ち、2週間経つうちに、おばちゃんはなぜか(あの人に弟子入りしようかな)と考えるようになっていた。探し回るうち、その考えは確信へと固まった。(あの先生に弟子入りするんだ)と。
そして、今日、見つからねば、もう諦めようと思った時、初めて会った場所に老人はいた。
老人は、おばちゃんを見ると「覚悟はできたかい?」。おばちゃんは、その場で深々とお辞儀して「よろしくお願いします」。おばちゃんは、老人に弟子入りしたい旨を伝え、老人は「知ってる」と言って、後日、ゆっくりと話をしようと約束をした。

日を改めてホテルのロビーで会った老人…先生におばちゃんは聞いた。
なぜ、あの日、あの場所で私を呼び止めたのか?
なぜ、旦那が死んだあと、なかなか会えなかったのに、また突然、現れたのか?
いったい、あなたは何者なのですか?
先生は珈琲を飲みながら、ゆっくりと話した。
自分は、易占の占い師である。ここ数年は弟子をとらずやっていた。
ある日、ふと自分のこの先が気になって、一番弟子に自分を占わせた。
一番弟子が出した卦は「あと一人だけ弟子を育てねばならない。その弟子となる人は、○○の方角にて出会う。その人が弟子となるのは、十か月後である」。
先生は、一番弟子の占いを信じて待っていたに過ぎない、と。
おばちゃんは「でも、私は霊感とか直感とか、そういうのないんです。そんな私が占い師になれるのですか?」。
先生は「易占というものは、易経を学ぶ易学が土台にある。学べば、誰にでも身につく。ただし、学んだものを人に展開するには、本人に人間としての経験が必要である。自分には素質があると勝手に思い込んでる人間には、それはできない。素質がないと謙虚な姿勢である人間だからこそ、真面目に学び、率直に展開する。それを素養というなら、あんたは十分な素養を持っている」。
その日、数時間も先生を前に、自分の半生を語ったおばちゃんは、昼は会計事務所の仕事を続け、それ以外の時間を易学を学ぶことになった。

まず、先生が言ったのは「学生時代を思い出しなさい」。
「人が、人らしく生きていくには、小中学校9年間の学びが必要だ。1日6時間、1年に200日学んで、9年間は1万5千時間。何年やれば一人前になるというのではない、まずは1万5千時間学びなさい」
おばちゃんが働いて、子供たちの面倒を見て、睡眠を削ってつくれる時間は1日5時間。1.5万時間といえば、毎日5時間勉強して3000日。8年とちょっと。
まず、最初の3年は、先生から貸し出された膨大な書物との格闘。戦後に出版された書物もあれば、戦前に出版されたものもある。江戸時代の書物もあった。まずは読みやすい戦後の書物を読んで、わからないところを先生に教授して貰う。やがて書物は難しくなってきて、先生の教授も難解になっていく。どんどん遡っていくにつれ、書物も印刷から草書の写本となる。おばちゃんは毎日頑張り続けた。
そして、家庭内のこともきちんとやった。これは先生の教えであった。
「あんたは母親という魂の修行の場を与えられている。母親でなければ学べぬことが沢山ある。易学と共に、人として、母として、人生を学びなさい」

おばちゃんが初めて易を立てたのは、学び始めてから4年後。自分の長男の進路のことであった。
長男は勉強が苦手。運動も苦手。社交性も低い。しかし、手先が器用で、根気強い。黙って16時間でも同じ作業をできる。そんな長男は中学を卒業したら、職人に弟子入りしたいと言い出した。
当初、先生に易を立てて貰おうとお願いしたら、「そろそろ、あんたが易を立ててみなさい」といって、先生は道具一式を貸してくれた。
易は「長男は職人向きであること。職人になれば、初老以降に成功すること。無理に進学させたら、一生が底辺にあること」と出た。なお、この占いは20年後に大当たりする。長男は30代で経済産業省の伝統的工芸士に認定され、今や彼の手にかかる工芸品は、海外でも高い評価を受けている。
長男の易を立てて以降、おばちゃんは、先生から「友人や親戚を相手に無料で見立てなさい」と新しい課題をこなすことになった。
親戚や友人を占うというのは、気楽そうに見えて、実は難しい。
良い卦ばかり出るわけではない。不幸や災難を見出した時、いかにして被害を軽減するか、また、どうやって乗り越えていくか。そこまでを考えて、多角的に指示せねばならない。
時には「縁起でもない!」と叱られたり、友人からは絶縁された。知人からは「変な宗教?」という目で見られて遠ざけられたりもした。しかし、その占いが当たってさえいれば、激怒していた人も、絶縁していた友人も、みな戻ってきた。
近い親戚から遠い親戚へ、やがて縁戚としか呼びようがない人へ。
友人から知人へ、やがて全く見たことも聞いたこともない人へ。
おばちゃんの占いは広がり続けた。

そうして実践し続けながらも、易経を学ぶ。寝る間を惜しむどころではない。寝る時間がない。寝ている間も、夢で易を立てる。
そんな生活をしているうちに、おばちゃんは「全ての暮らしに易を観た」という。煮物がクツクツいう姿に、洗濯物がはためく姿に、易が観える。出歩けばバスの中、ふと目の前に立つ人の卦を、脳内で組み立てる。「あれはもうノイローゼみたいだったわよ」と。

易を学び始めてから7年後、おばちゃんの占いの噂は、会計事務所に直接問い合わせが来るようになった。
ある時、顧客であるスーパーマーケット・チェーンのオーナーから、会計事務所の社長に「お宅の会社に凄い占い師がいるんだって? うちの女房が観てもらいたがってるんだけど紹介してよ」と。
会計事務所の社長はビックリ。下働きである伝票整理の目立たないおばちゃんが、なんと評判の占い師だったとは?
その会計事務所には、特に副業禁止の規定はなかったが、占い師が副業というのは特殊すぎる。そこでおばちゃんは社長から呼び出されて面接する羽目になった。
おばちゃんは、こうなることを知っていた。先生の見立てで、こうなるであろうと予見されていたのである。社長の呼び出しに、おばちゃんは筮竹や算木など一式を持参して行った。
数学大好きな現実主義者である社長は、当初笑っていた。「え? 筮竹占い? いまどき流行らないだろ?」。そして、「とりあえず、私を占って」。その時、社長は情報を一切出さなかった。きっとコールド・リーディングさせないためであろう。
おばちゃんは、冷静に筮竹をジャラジャラ唸らせはじめ、算木をカチャカチャやって、社長の現状と、近い将来の困難、そして、その困難の対処法をいくつか並べた。
社長は、おばちゃんの言葉を黙って聞いているうち、いつしか真剣な顔になっていた。そして、占いを聞き終わってからは易学のことを質問攻めしてきた。おばちゃんは冷静に答えた。2時間近く質疑応答があった後、社長は深いため息をついて天井を見上げた。
「世の中には、わけのわからんことがあるもんだなあ」
しばらくなにかを考え、そして決意したように言った。
「実は、新しいコンピュータ会計システムを、導入しようと考えている。そうなると、今いる社員の何人かは、いずれ解雇するだろう。そうなったら、君は占い師を本職とするのか? それともうちに残りたいか?」
おばちゃんは残りたい、と答えた。まだ学生である下の子を育て上げるため、この会社で働き続けたい、と。
社長は「わかった」と答え、その場で「占い師を続けなさい。今より楽な部署に異動させよう。占いというのは、私が思ってたようなインチキなものでないのもあるとわかった。君の占いを必要とする人のためにも、もっと占いをしやすい環境をつくることに、私も協力する」と。
社長は、件のスーパーマーケット・チェーンの社長夫人を紹介してくれた。その社長が入っている商工会や法人会の関係からも占いの要請が増えた。
そして、おばちゃんは新たなステージに上った。先生が易学を元に発展させた独自の占術である。おばちゃんはスルスルと、先生の秘伝を吸いこんでいった。

そして、おばちゃんが1.5万時間=8年と計算した日が来て、先生はおばちゃんに名をくれた。先生の流派を受け継ぐ名だった。
襲名式の日、会場である地方都市のホテルに100人を超える人が集まった。3分の1は先生の弟子、おばちゃんにとっては兄弟子、姉弟子。そして、過半数は先生の顧客。
そこで先生は、おばちゃんの襲名の挨拶をし、そして自分の引退を表明。顧客の皆様へ今までのご愛顧に感謝するとともに、これからは弟子たちを宜しく、と。おばちゃんは、先生の顧客のうち、地元の大口を5軒ほど受け継いだ。
その後、先生は日本全国を半年かけて旅したという。全国の弟子たちを訪ね歩いて、他の流派の大先生たちに挨拶して回り…… おばちゃんの襲名からきっかり1年後、先生は自宅で眠るように死んだ。享年91歳、老衰での大往生。先生の最期を看取ったのは、おばちゃんだった。
先生の遺言により、葬儀は密葬。先生には子供がおらず、戦争で親族もいなかった。遺言通り、書物のほとんどは某大学教授に寄贈された。遺品らしいものはほとんどなかった。書物以外に遺されたのは、古い家具と古い着物と古い布団のみ。住んでいた賃貸アパートも、先生が死んで半年で取り壊され、立派なマンションに。墓は遺言で共同墓地へ。生きていた証のようなものは、なにも残さなかった。あるのは、おばちゃんの家の仏壇にある位牌のみ。見事といえば、見事な最期であった。
おばちゃんとの出会いから、おばちゃんの弟子入り、自分の死まで含め、全てが占術によって立てられた10年の計画のうちだったのだから。

「でもね、私の頭の中には、先生の秘伝がちゃんと残っているの。易学から発展させた色々がね」
おばちゃんに弟子入りしたいという人は、今までに10人を超える。しかし、みんな1.5万時間の壁を破れず、目の前から姿を消した。長く頑張った人でも2年、短い人では半年。もっと短い人では、1.5万時間の話を聞いた瞬間に諦めた。みんな、来なくなって、連絡が取れなくなった。
「みんな、興味はあるけど、本気じゃないのよ。占いたいけど、学びたくはないのよねえ。なんでかしらねえ」
ちなみに、私の2歳下である次男は、医学関係に進んで占いには一切興味がない。
「先生みたいに一番弟子に占ってもらって、自分からその時その場所に行って会えばいいんじゃないの?」
「それも考えて、一番弟子の先生のところに行ったのよ。日付や時間までわかる占いは、私と一番弟子の先生しか伝授してもらってないからね。でも、これを広めたり残すことは、いいことか悪いことなのか、わからないって言われて。私もそう思うしね」

おばちゃんの言葉で忘れられないのは、
「運命なんて空間に漂っているシャボン玉みたいなもの。パチンパチンと割れていくシャボン玉の中に、なかなか割れないシャボン玉もある。その割れないシャボン玉はどれかを見極めていく。その見極め方が、占術なのね。当たる当たらないじゃない、学問なの。学問として導いた答えしかないの。学ばなくても、勘がいい人はそこそこ当たるけど、そのうち大失敗をする。それが自分のことだったらしょうがないけど、他人のことだったら責任が取れないでしょ」

なお、おばちゃんは70歳を過ぎた。おばちゃんが60歳目前に、会計事務所社長が代替わりした時に、おばちゃんも辞めた。以来、10年以上、占い師として生き続けている。弟子をとるとしたら、あと何年もない。