猫になりたい

私の家には猫が住んでいる。
猫にも人と同じ様に性格がある。
甘えん坊だったり、臆病だったり、ヤンチャだったり当たり前な事だけれど皆違う個性を持っている。
好きな匂い、人、食べ物も違う。
姿形は違えど、それ以外は人と同じだと私は思っている。
じゃあ何故人から猫になりたいかと言うと
彼等は無条件にその個体差を人という他の生物から受け入れられ、愛されるからである。
人全員が全員、猫好きでは無い。
だけれど少なくとも人と共存する猫は、その相手から愛されている。
それがとてつもなく羨ましく思う瞬間がある。
言葉を交わせ無いからこそ、彼等が何を求めているか必死に知ろうとするし、少しでも暮らしやすい環境を整えようとする。
それは共存すると決めた此方側の責任であり任務だから。
その対象物が他人になった途端、そういった任務は責任では無く二人で熟すものとなる。
言葉を交わせるからこそ、意見し合い、時には喧嘩をし、相手から何かしらの見返りを求める様になる。
言葉というものには常に責任が伸し掛かる。
それが偶に途轍もなく息苦しく生きづらいと思う瞬間がある。
そんな時、私は猫に救われる。
言葉が無くとも通じる何かを感じるからだ。
これはエゴなのかもしれない。
しかし言葉に日々振り回される生活は少し疲れてしまったので、来世は猫になりたいと思う。