自分を認める方法

私は恐ろしく自己評価の低い人間だった。周りの目最優先で行動を決めていたし、全てにおいて「私にはできない」と思っていた。
そして、心のバランスはあっという間に崩れた。20数年の人生における節目節目で心の崩壊現象は起こり、特に思春期は悩まされた。
20代になってもそれは再び起きたため、当時初めてできた相談相手に心の裡を恐る恐る明かした。するとその人はこう言った。
「何でもいいから、成果を可視化しろ。読書記録でも、映画記録でも、そんなんでいいから」
本当にそんなことでいいんですか……?と怪しいダイエットサプリを勧められた人みたいな反応をしつつも、その週から映画や読書の記録を始めた。
その時の副産物的な発見なのだが、私は記録をすることが結構好きなようだった。一時期は記録するために本を読んだり映画を見たりさえした。
1つ1つ記録していって、10、20、30と増えていくと「私はこんなに見てきたんだ」と自信を持って思えた。今まで何となく読書好き、映画好きと思っていたが、その根拠ができたのだ。
今までの「何もできないダメな私」の根拠より、見重ねてきた本や映画の記録という根拠の方がしっかりしていた。何もない人間に、何かができた。こんな小さなことで、私はわずかながらに自信を持てた。
そういえば母も「あなたならできる」と言っていたっけ。何故それを嘘だと決めつけていたんだっけ。何もできないと言う前に、今まで私は何をしたんだっけ。
色々考えたら、やるしかない状況では、やるしかないのだと腹を括ることができるようになった。周りの目についても、「誰かがやっていたら自分もすると思うことは、自分が率先してやってもいいじゃん」と思えるようになった。
他人に期待しない、他人は思ってるほど自分を見ていない。分かっちゃいるけど……と思っていたことが、スッと落とし込めた。
これらは、自分を認められたからこそできたのだ。私は自分を認めるために、読書や映画の記録をした。結果的にたくさんの作品に触れたから、心にゆとりができたというのもあるかもしれない。
自分を認められない人が、それができるようになる方法は、まさに十人十色、かかる時間もまた然りだ。
私は2年ほどかけて社会生活に支障をきたさない程度の自信を持つことができるようになった。中高生時代から節目節目で自己と向き合ってきた時間を合わせたら、10年くらいにはなる。
若いうちの年単位の時間って、結構デカいよなとも思うが、長い人生、このくらい大したことないと、回復した今では思う。
自分ができるほんの小さなことから始めれば、必ず自分を認め、それなりの自信を持つことはできるはずだ。だから、あの頃の私みたいに自己評価が低過ぎて何もできない人は、どうか腐らずあれこれ試してほしいなと思うものである。