先日の「あさイチ」で性暴力被害につ... by にこねこ | ShortNote

先日の「あさイチ」で性暴力被害について放送してたらしい。私はその番組は見てなかったのだけれど、Twitterにいっぱい感想が流れてきてたのを読んだ。
その中で、60代70代の男性からのFAXということで、「性被害は被害者にも問題がある」とか「死ぬ気で抵抗すればなんとかなったはずなので、受け入れた女性にも問題がある」という意見が紹介されたらしい。で、ジョン・カビラさんが「もし自分の身内が被害者だったらそんなことは言えないだろう」とおっしゃったらしい。(らしい、ばっかりですみません)
でも、と私は思った。
こと、性的なジャンルに関する価値観においては、たぶんこういうことを言う人、こういう価値観を持ってる人は、自分の身内(妻、とか娘とか)に対しても、「被害にあうのはお前にスキがあったからだ」とか「抵抗しなかったお前が悪い」と言いそうだよな、と。
自分の価値観に合わない存在は否定する、というのはありがちが行動だもの。
テストの点が悪いなんてうちの子じゃありません、とか。
一流大学に入れないなんて、恥ずかしくて人に言えないわ、とか。
世間体ってやつに第一義をおいてる人は極めて自然にそんなふうに思う。
とすれば、「レイプされるのは女にスキがあるからだ」「誘うような恰好をしてるのが悪い」「夜道をふらふら歩いてるのが悪い」と非難する人は、それが自分の妻や娘であっても、というか、身内だからこそかえって強く非難するんじゃなかろうか。だって自分の所有物だと思ってるんだから。
他人にセクハラしちゃう人(しかも自覚も悪気もない)は、同じように身内にセクハラ的な言動をしてる。そして「やめてほしい」とか「セクハラだよ」と指摘されても自覚できない。
ただ、「あなたの奥さんや娘さんが他人からセクハラされたらどう思いますか」と聞かれたら怒るだろう。でもその怒りは、自分の所有物が損なわれたと思うからだ。
昔、曽野綾子さんのエッセイの中で、「性的被害にあうのは女が露出の多い服装をしてるからだ。夜道を一人でふらふら歩いているからだ。女はもっと自衛するべき」というようなことを書いているのを読んだ。新聞のエッセイでも同じようなことを書いていたから、たぶんこの人の意見なのだと思う。
女の人でもこういうことを言う人がいるんだなあと思っていたのだが、曽野さんの場合はこのあとにイスラム教の話が続く。イスラム教では女性は一人で出歩くことはできない。肌や髪を露出するような服は着用できない。それはすべて「男の性衝動」から身を守るためなのだそうだ。ほかの男の性的対象とならないように身内の男がガードする。そうやって大切に守られているのだと曽野さんは言う。
物は言いようだと思ったものだ。
だってそれはつまり、女性というは男性の持ち物である、ということじゃないのか。
だから身内の女は守るわけで。女性も同等の人間である、という概念はそこにはない。ほっといたらほかのグループのオスに奪われてしまうから守っている、ということだ。
電車内での痴漢問題にしても、性暴力被害の話にしても、なぜか性が絡むと「女が悪い」という話になりがちだ。宗教ではよくそういうふうにとらえられてる。女の存在が男を狂わせるのだ、と。
ナニイッテンダカナア。私はこの一点で宗教というものを信じられなくなる。
男だろうと女だろうと、他人に害を為してはいけない。それが近代社会の基本じゃないのか。
確かに自衛は必要だろうが、犯罪っていうのはそれを突破したところで発生するものだし、自衛してなかったから被害にあって当然だという理屈は成り立っちゃいけないよ。
成り立っていいというなら、オレオレ詐欺で大金を取られてしまった年寄りをもっと非難したらよかろう。事故に巻き込まれた人をもっと非難してもよかろう。
でも、そんなことはしないよね。むしろ、したほうが非難される。被害にあった人の気持ちを考えろと。
じゃあ、なんで、性被害にあった人の気持ちは考えなくていいと思うんだろう。
そこにはもしかしたら、「女は男を惑わす悪の存在」的な発想が隠れてるんじゃないのかな。
実際には男性にも性暴力の被害者はいるのに、そのことについてはほとんど言及されないし、そもそもいるとも思われてない。
そのあたりがなんともアンバランスな話だよなあと思う。
性衝動の話のときだけ、本能だの獣だのっていう言い訳を使うんだけど、なぜそこで「人間性」を重視しないんだろうなあ。ほかのところではすぐに「人間らしさ」だの「人間としての尊厳」とか言うくせに。
自分の欲望をコントロールしてこそ、人間ってやつになれるんじゃないの。
女が誘惑的な存在だからいけないんだとか、人のせいにするんじゃないよ。
きちんとコントロールできてる人たちに対しても失礼な話だと思う。