藍より青く

30年も前のことなのに、今でも夏が来ると思い出す、胸の奥のどこかにある小さな傷と、未熟だった自分に対するもどかしい思い。
高校時代、1-2年の夏休みはとあるお店で1ヶ月住み込みのバイトで働いていた。
高3の夏はさすがに受験生ということで、バイトはせずに予備校に通っていた。
ある暑い日の昼下がり、携帯などない時代、家の電話が鳴った。両親は共働きで、いつもは電話のない離れにいた私が、普段は誰もいない母屋でこの電話を取ったのはいま思えば必然だったのかもしれない。
受話器を上げると電話から聞こえてきたのはかおり(仮名)だった。
かおりはバイト先に時々来る同じ歳の女の子で、私は泊まりで働いていたので時々休みの日に遊ぶ程度の仲だった。
「久し振り、元気?今年はやっぱりバイトには来なかったんだね」
「受験生だからね」
「そうだよね」
「どうしたの?」
「実はね、私の部活の後輩がはちすけ君のバイト先にお客さんで行ってたらしいんだけど、私と話ししてる姿を見て、知り合いだったら紹介して欲しいって言ってたんだ」
「それっていつのこと?去年のこと?」
「そう」
「それを何で今頃言うの?その時言ってくれればよかったのにぃ」
「まぁいいじゃない。でね、その子に手紙か何か書いてあげてくれないかな」
「ええ!?だって、どこの誰かも知らないんだよ。名前は?後輩でお客さんだったら、俺知っている娘だよね?」
「名前は言わないでって言われてるんだ。ねぇ、手紙ダメかな?」
「ごめん、どこの誰かもわからない娘に手紙なんて書けないよ。何を書いてもいいか分からないし」
「そうか、そうだよね。じゃぁ、その子が手紙書いたら、返事書いてくれる?」
「それならいいよ」
それから程なくして、差出人のない手紙が届いた。
そこには可愛らしい字で、次のような事が書いてあった。
『突然無理なお願いをしてごめんなさい。同封の紙に書くだけでいいので、お返事下さい』
そこには、小学生の頃に卒業式などの時にみんなで回したサイン帳(若い人はわからないかな)の紙が1枚畳まれて、幾つかの質問が書いてあった。
『身長は何センチですか? 好きな食べ物はありますか? 好きな女の子の髪型はどんな髪型ですか? 好きな色は何色ですか?』
覚えているのはこれくらい。
謎の女の子からの手紙を読み終わったのを見ていたかのように、かおりからの電話が鳴った。
「手紙、届いた?」
「届いたよ。でも、差出人も何も無いけどどうしたらいい?」
「それ、私に送ってくれる?私が渡すから」
「わかったよ」
「チョット急いで書いてほしいなぁ」
「わかった、わかった。すぐに書いて送るから。そしたら、誰か教えてくれよな」
「う、うん」
それから2週間くらい過ぎた頃、かおりから電話があった。
「手紙、ありがとう。すごく喜んでた。実はね、その娘、心臓が悪くてね、先週、手術したんだ。あのお店ではちすけ君見て、好きっていうか、仲良くなりたいなって思ってたらしいんだけど、声をかける勇気が出なくて。でも、手術する事になって、どうしても連絡が取りたいって私に言ってきたんだ」
「何だよそれ、何でそんな大事な事言わないんだよ!」
「手術が終わるまでは絶対に言わないでって言われてたの。無事に退院したら、自分で連絡して会ってもらうんだって」
「それで?手術は......」
「成功率は5%以下って言われてて、手術終わって1回意識は戻ったんだけど、ちょっとしたら発作みたいのが起こって........」
「えっ⁉︎」
「どうしても、誰かは言わないでっていう約束だから。ごめんね」
「でも、そんなことって.....」
「彼女から手術前に預かった物が有るんだ。送るから受け取って」
あとは何をどう話したか全く覚えていない。
数日して届いた包みには、サイン帳に書いた僕が好きな「青」い贈りものが入っていた。
手術室に入る直前までポニーテールを解きたくないと泣いたあの娘。
どこの誰かもわからないままだけど、でも、メールなんて無い時代に、彼女と僕はたった1往復の手紙だけど、あの夏繋がっていた。