死の日曜日

人生で初めて、自分の子宮の中を見た。
繁華街に立つ婦人科は、土曜日のせいもあって若い女性で溢れかえっていた。用件を伝えると、エコー検査が始まった。天井の小さなモニターに映っている光景がわたしの子宮の中であるという事実は、分娩室のような場所で仰向けになってしばらく経ってから、やっと理解することができた。思っていたよりも、ずっと暗くて狭い部屋だった。
次の日は朝から忙しくするはずだったのに、なんだか体調が思わしくなくて1日寝てた。大海を泳ぎ続けるマグロのように、止まったら死ぬと自分で暗示をかけていたのに、毎日続けてた日記すらも更新をストップしてしまった。
夜には体調もまあまあ戻り、youtubeで人の家のペットや子供の動画を延々見て和んでいた。流すようにいくつか見ていると、おすすめ動画に胎内記憶を話す子供の動画が出て来た。
子供達は口々に話す。「お空からびゅーんと飛んで来て、ママのおうちに入ったんだよ」
「雲からトンネルみたいなのが繋がっていて、どのママがいいかなーって選んでいたんだ。」「お腹の中は暗くて、出る時は苦しくて死にそうになった」
気づいたら、涙で頬がびしょ濡れになっていた。自分でもなぜ泣いているのかわからなかった。
快適な空の上でいつまでも過ごしていればいいのに、なぜわざわざあの薄暗い部屋に1年近く閉じ込められに行き、そしてこの地獄のような浮世を渡るのか。そしてその空に行くことをなぜ怖がってしまうのか。生まれて来た意味なんてものはおそらく誰に聞いても明確な答えは出ないだろう。これからも自分で問い続けなければいけない。
日曜日は、多分死んでいた。すべての行動を止めたマグロは、海の底へ落ちて行った。しかし大きな波に押されるように月曜日がやって来て、息を吹き返した。
生きる意味とかよくわからないけれど、これだけは言えるのが、自分では到底抗えないような強く大きな力で生かされていることを感じるということ。そのこと自体が生きる意味なのかどうかは、今はまだ立ち止まってゆっくりと探す余裕がない。
胎内記憶を口にする子供の中には、 生まれてきた意味についてペラペラと話し出す子供もいるという。もし、わたしのこの暗くて狭い部屋から出てきた人が現れたなら、その話を早いうちからぜひ聞いてみたいものだ。