クリスマスを前にあえて考えてみる

不倫とか浮気とか、許せるとか許せないとかいろいろな意見がある。わたしの場合は相手の二股が発覚したとき、
誰かを傷付けてまで、何かを優先するこの人が嫌だ
とシンプルにそう思った。遠距離だったからとか、そもそもそんなに好きじゃなかったとか、いろいろと考えられるけれど、とにかくあっさり別れた。
事情は人それぞれだけど、一夫多妻制じゃない限りだいたいの場合はどこかで傷付く人がいるわけで、罪悪感があろうがなかろうが、そんなことができる人が嫌だ、と思う。
付き合っていた頃に一度、俺のどこを好きになってくれたの、と言うので、
通りすがりのおばあちゃんにも優しいところだよ
と答えたことがある。そのとき彼は、そんなんでいいんだったら絶対に嫌われることないな、と言って喜んでいた。
別れた直後に、会社の先輩に散々愚痴っていたところ、次のような有難いお言葉を頂いた。曰く、
あのね、優しさなんて基準にしちゃダメ。『優男には 優しい以外の 取り柄なし』。
とのことである。まだ決断に自信がなかったわたしは、その言葉をメモしておいた。
しかしまさにその通りで、「優しさ」が失われた後には、もう何の魅力も見つけられなかった。彼は向こうとは別れると言い、目の前で電話をかけてもらったが、彼の「自分可愛さ」が滲み出る会話に、どんどん気持ちが冷めていった。
逆に考えると、もし今後誰かの自由奔放さや人を押しのけても自分を優先するような姿勢を好きになることがあったら、彼の女性関係などを許してしまうのかもしれない。できればそんな人を好きになりたくはないが、こればかりはわからない。
それにしても、自分が「将来は誰かと一緒にいたい」と当たり前のように思っていることが不思議だ。昔は恋愛とは全く縁も興味もなく、成人してそのような関係の人ができても、「恋人」という言葉を頑なに認めたくなかった。今だに自分から人を好きになったことがない初心者だけれど、いつかは、とやっぱり憧れている。
本能というか社会の摂理というのは恐ろしいものだ。どんな天才も、変人も、心に傷がある人もない人も、恋愛からは逃れられない。ショートノートを読んでいて、ますますそう思っている。