今でも耳に、祖母の「バイバイ」が残ってる。

祖母が死んだ。
平成も残すところあと数日の、4月25日。夕方のことだった。

危篤状態、と言われたのが4月18日。
それ以降、時間を見つけては、車で1時間の祖母の施設に通った。
現金なものである。危篤と言われる以前だって、徐々に弱って、それは徐々に死に向かっていくということだと解っていたのに、わたしときたら、月に1度顔を見に行くのがせいぜいだった。
危篤だから。いつ死んでしまうか分からないから。だから何だというのだろう。人は誰だって、いつ死ぬかわからない。だけど、もうすぐ死ぬとわかったら、居ても立っても居られなかった。
もっと会いに行けばよかった、とも思うし、旅立つまでの最後の一週間、それでもできる限り顔を合わせ、同じ時間を過ごし、そういう時間が持ててよかった、とも思う。

危篤と言われてからの祖母は一進一退で、意識がはっきりする時間もあれば、そうでない時間もあった。
会いに行くと眠っていることが多かったけれど、ベッドの脇のパイプ椅子に座って本を読んでいて、不意に祖母に目を向けると、眠っていたはずの祖母が目を開けて、じっとわたしを見ていることがあった。
「おはよう、おばあちゃん」
声をかけると、口をもごもごと動かしながら、にっこりと笑ってくれる。
邪気のない笑顔に、こちらが救われるような時間だった。

亡くなる3日前、通勤中に母から電話があった。
ついに、と、どきりとしたが、
「おばあちゃん、奇跡の復活だよ。今、話ができるから、ちょっと代わってもいい?」
電話の向こうで、母が祖母に、わたしの名前を呼ぶよう呼び掛けている。
あー、とも、うー、ともつかない祖母の声が聞こえてきて、ああ、まだ生きている、と感じた。結局わたしの名前を呼ぶことは叶わなかったけれど、
「忙しい時間にごめんね。とにかく大丈夫だから。ほら、お母さん、バイバイ、って」
と母が促したら、
「バイバイ」
と、ざらざら乾いた祖母の声がはっきりと聞こえた。それは、いつも施設に会いに行った別れ際に聞こえた笑顔の祖母の声だった。きっと淋しかろうに、笑って手を振る祖母の声だった。
それが、最後に聞いた祖母の声、となった。

死に目には会えなかった。
間もなくだ、という電話を受けて向かったけれど、旅立ったばかりの祖母の身体が、まだ体温を残したままベッドに横たわっているだけだった。

早いもので、先週末、四十九日法要を済ませ、納骨した。
予想以上に、祖母に申し訳ないくらい、悲しみや淋しさに暮れたりもせず変わらない日常を送っている。ちょうど亡くなった直後に10連休があったこともよかったのかもしれないし、祖母が心の準備をする時間をくれたおかげなのかもしれない。
家族みんなが「お手本にしたい」と口を揃えるような、死に際だった。