いつか忘れ去られてしまうぼくへ

前回、人生は悲しい道であり、人々が生きる意味はこの悲しい道を少しでも明るくするためだと考察しました。
これは人は死に、いつかは忘れ去られてしまうのに、なぜ幸せを追い求めるのかについて考えた結果の結論である。
しかし、1つだけ人々の記憶から忘れ去られてしまわない方法がある。
それはアウトプットである。
自分の知識や経験を次世代に残したり、言語化することである。
例えば織田信長は今から500年前ぐらいに死んでいるにもかかわらず、今なお人々の記憶に残っている。
これは学校で日本史を学ぶためである。
つまり、信長に関する伝説を言語化したものを次の世代、そのまた次の世代へと伝えているからだ。
これは何も信長のように伝説的な偉業を達成する必要はないのではないかと思う。
とにかく自分の知識や経験を次の世代に伝えることができればいいのだ。
だから、年を取った人たちは子供たちに過去の自慢話をしたりするのかもしれない。
子供を作るのにも、自分のことを少しでも長くこの世界に残しておきたいという意味があるのかもしれない。
私は自分のことがこの世界から忘れ去られてしまうことはとても悲しいことだと思う。
残りの人生で自分のことが忘れられてしまわない仕組みづくりをしていこうと思う。