寺と僧侶の事情

みなさんお気づきのことと思いますが、寺というのは斜陽産業でして。
「家族だけで簡単に」とか「お通夜は無しで」という葬儀がかなり増えているし
昔に比べて1件あたりのお布施の金額なんかはすごく減ってます。
私も寺に生まれ育っただけで、特にこれといった教育を受けたわけでもないので、「葬式でちょろっとお経読んでもらうだけで何万も払うの無駄じゃね?」と思われる気持ちはとってもよく分かる。
ただ、さすがに葬式は不要であるとまでは思っていなくて、遺された人の気持ちを整理するためになにがしかの儀式が必要であると思うし、理屈では手に負えないものに直面するときに精神を支えるものとして宗教が役に立つと思っている。
高すぎると思われる金額も、そんなに暴利をむさぼっているわけではなくて、墓地の除草だの、建物の修繕だの、護寺のためにかなり経費がかかっている面もあって(ウチの場合電気代は月に10万くらいかかる)この辺の折り合いをうまく調整していくのが大変難しい。

しかし顧客の納得できない金額を払わせるのはサービス業として不健全であるので、これから先淘汰されていく寺院がかなり出てくるのではと思う。
(ただし廃寺はものすごーく面倒で、企業の倒産のようにいかないのが難しい)
ちなみに宗教法人は法人税がかかりませんが、住職は法人から給料をもらっている個人なので、税金払ってます。あと法人の方にもしょっちゅう税務署が来て超細かくチェックしていきます。書類集めさせられて、説明させられて、営業妨害かってくらい面倒くさいです。あと、檀家さんのうちの誰かを調べる一環でウチに来たのかな…というときもあります。
宗派や各寺院の規模によって異なるので一概には言えないのだけど、ウチの実家の寺では、葬式よりも、毎月の命日に檀家さんの家に行ってお経を上げる月参りが日常の主な仕事になる。
ウチの実家のような田舎では、毎月家に来る若いお寺さん(私の兄弟)と話すのを楽しみに待っているお年寄りがそれなりにいて、老後の楽しみ創出に一役買っている、らしい。
「そんなに毎月毎月お参りする必要ってあるのかなあ。仕事してたらお寺さんが来る日に合わせて家で待ってないといけないの面倒だし、その度にお布施(1,000〜3,000円くらい)出すのもったいなくない?お盆とお彼岸と年一回の祥月命日だけでよくない?」
と、今時の若者っぽい疑問を兄にぶつけてみたことがある。
兄も高校・大学とチャラチャラと過ごし、大分今時の若者だと思っていたのだけど、帰ってきた答えはかなり意外なものだった。
「うーん、でもさ、大事な家族が亡くなったあとでさ、月に一回くらい、その人のことを思い出してお参りする日があってもいいんじゃない?」
もっとチャラチャラした答えか、今後の展望をふまえた戦略的な答えが返ってくるかと思っていた私の予想がふわっと包まれて流されてしまった。
でも、葬儀屋でもない、墓地管理人でもない、「お寺さん」に求められるのはこういうことなのかもしれない。