銭湯のすゝめ

私は銭湯を好いております。温泉街のほど近くで生まれた私は、故郷を離れた今も郷里を想い足しげく銭湯に通います。温泉よりもぐっと身近で、手ごろな値段で入浴できる銭湯は庶民の味方、憩いの場であります。季節を問わず余暇があれば足を運びますが、私はことさら、晩秋の銭湯を好みます。その魅力は筆舌に尽くしがたく、文章においてそれを伝えることは野暮であると断言できます。さりとてその妙味を、まだ味わっておらぬ人々に伝えずにおくのはあまりにも狭隘というもの。「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない。」という先人の言葉もあります。以下に続くこの拙文が読者諸兄にとって銭湯を愛するきっかけの一助となれば幸いと思い、筆を執らせて頂く所存であります。
銭湯の魅力とは、この上ない寛ぎと明日を生きる活力の獲得、この二点に尽きます。
冷えた体を大きな湯船にざぶんと預ければ、血行促進、体はぽかぽかと暖まり期待値を遥かに上回る悦びが沸き上がります。ぐいと足を伸ばし、大きく息を吐いてみましょう。押し寄せる快感は、思考を放棄させ、とろけきった脳みそは意味を成した文字列を弾き出すことも能はず、口をついて出てくるのは感嘆詞のみ。ああ、ここが極楽か。ストレス社会と言われる現代において至上の寛ぎを得られる銭湯は現代の桃源郷と断じても過言ではないでしょう。老いも若きも貧富の差も無く皆が裸一貫で寛ぐ姿を見て、「天は人の上に人を造らずとはよく言ったものだなあ」等と見当違いのことを思ってみたりします。打たせ湯、ジャグジー、電気風呂等々、疲弊した体はあの手この手で解きほぐされ風呂上りの体の軽さに驚くほどです。さて、先ほども述べたように風呂の魅力は身体の寛ぎのみにあらず、心の活力充填でもあります。露天から満天の星を眺めつつ今日一日を振り返り、風呂上がりには牛乳を、いや麦酒も良いなと思いを馳せれば一寸先の未来は期待に輝き明日を生きる活力が満ちることは自明の理。腰にぱしりと手を当て、明日の方角を見据えながらぐっと飲み干す牛乳はこの世において至高の飲料と言えます。ともすれば寒さで内向きになりがちな此の頃、熱い風呂により活力をこの身に湛えることで厳冬を乗り越えることが出来るのです。これこそ、私がことさらに晩秋の銭湯を好む大きな要因なのであります。
体の垢を落とし、心の洗濯をする。頭頂からつま先にかけて全身の汚れが洗い流される感覚は広い浴場においてのみ味わえる愉悦であります。余談ではありますが私は体を洗う際、必ず洗髪から取り掛かります。これは「汚れは上から下に。活力は下から上に。」という父のもっともらしい教えに則ったものです。閑話休題。長々と書き連ねて参りましたが銭湯の魅力は深遠であるため語り尽くすことは到底不可能であります。読者諸兄におかれましては是非、実際に銭湯へ足を運びその魅力に骨抜きになって頂くことを強く勧めながら結びの言葉とさせて頂きます。