インスタ映え セクハラ

セクハラという言葉がここ最近特によく使われている。
きっかけはいつでどこなんだろうか?アメリカで起こった映画プロデューサーのセクハラ騒動からMetoo運動などに繋がり、今の日本での事件と報道という流れなんだろうか?
人が理不尽に性的な表現などを浴びせられ、性的な何かを強要されるようなことはもちろんあってはならないことだ。
「そんなつもりでは言ってない。」
「そんなつもりの行動じゃない。」
では済まされないこともある。
それを受けた側にとってそれは消えない傷となっていることは決して少ないことではない。
でも、少し現状を考えて欲しい。
テレビでは真面目な報道番組からワイドショー、バラエティ番組に至るまでセクハラという表現が出てくる。事件を報道する中での使用もあれば、
「そんなこと言うとセクハラになっちゃうよ」
と笑いながらタレントをいじるようなものもある。そして一般の人までもが話のネタとして何がセクハラで何がセクハラでないなんてことを雑談するようになっている。
これは正しい言葉の使われ方だろうか。
その言葉が頻繁に使われることでそれが周知のこととなる効果はある。
しかし、本来その言葉の持つ意味のために活用されるのではなく、その言葉の持つ影響力を目的とした活用は「言葉の道具化」に他ならないと考える。社会全体でセクハラという問題を考えることよりも、セクハラをしていると認定されることへの恐怖などが優先して考えられているようにも感じる。
インスタ映えという言葉も同じような流れを辿った。単純にインスタグラムの中で写真の見映えが良いという使われ方から、派手なものやカラフルにはとりあえずインスタ映えと言うようになり、徐々にインスタ映えという言葉が何にでもカメラを向ける滑稽な姿を連想させるものへと変わっていった。その結果インスタ映えという言葉に「ダサい」というイメージを持つ方もいるのではないだろうか。
言葉が道具化して影響力を持ってしまうことはその言葉をブーム化させてしまい、本来目を向けるべきだった問題から離れてしまう危険がある。
セクハラは深刻な問題であるが同時に難しい問題でもある。
どういった行為をセクハラとするのか?そもそも当事者以外の人間が口を挟むべきではないんじゃないか?
考えなければいけない点は多い。
メディアでむやみに道具としてその言葉が使われてしまう前に、悩む人たちのためにも慎重な議論が行われることを願いたい。