ちいさい部屋

いま、人生でいちばん「ちいさい部屋」に住んでいる。
6畳にも満たないワンルーム。
退院後、仮住まいのつもりではいった部屋なのに、
その「ちいささ」が思いのほか心地よく、
ずっと住み続けている。
若い頃、はじめて一人暮らしをしたアパートは、
それでも7畳くらいあったなあ、と思い出す。
以後、いろいろな家に移り住み、
たどり着いたのが、この「ちいさい部屋」だ。
入院するまで住んでいた家は、木造の平屋。
おんぼろだったが、くふうしだいでおもしろく住める家だった。
病気であることがわかり、
しかし専門の治療を受けられる病院は遠方にしかなく、
もしかしたら、このまま帰ってこられないこともある、と思った。
それで、ちょうど住むところを探していた友人に、
その家を明け渡していった。
家を出る前、自分の荷物を整理した。
わたしがいなくなったら、だれかが片づけることになるだろう。
そのヒトがあまり悩まなくてよいように、
思い出の品や、仕事の書類などを、自分の手で処分した。
わたしの人生が、どんどんちいさくなっていった。
残ったのは、40cmぐらいの保存箱がひとつ。
その中に、重要書類と写真がはいっている。
私という存在は、ひとつの「ちいさな箱」におさまった。
その箱を友人に預け、家を出た。
退院し、帰ってくることはできたけど、
もう私の住む家はない。
数日、友人宅に居候しながら部屋を探し、
見つかったのが、この「ちいさい部屋」だ。
ちいさくなったわたしは、
「ちいさい部屋」に、ぴったりおさまった。
空間が広いほど、エネルギーをたくさん使う。
たくさん動けないヒトにとっては、
ちいさいほうが楽、ということがわかった。
モノもないほうが楽だ。
いつまたどうなるかわからない、
という前提が常に頭の中にある。
片づける時にかかるエネルギーを想像すると、
それだけで、「無理」と思う。
モノを手に入れる時は、
それを持つことで得られる利点と、
それを持つことで使うエネルギーを、
天秤にかけてみる。
結果、持たないほうを選ぶことも多い。
ちいさく、ちいさく。
そうやって生きることが、
空虚か、といったら、そんなことはなく、
案外、楽しい。
悩む要素がすくないからである。