僕がほめられる一番の方法

「ほめられたい」
「うけいれられたい」
「好きと言われたい」
誰にでもある「承認欲求」ですね。
これを満たす方法は、人それぞれたくさんあります。
教育で理想とするのは、
成功体験を積むことにより、
自分で自分をほめること、うけいれること、
それによりさらなる高みを目指すこと
かもしれません。
ですが、よほど心が強くないと、自分で自分をほめるのは難しい。
他人の「すごいね」の、この一言の破壊力を超える言葉を自分で紡ぐのは誰にもできることではありません。
さて、ある少年の話。
この子のご両親が、とても立派です。
おかあさまは弁護士。
おとうさまは大学教授。
少年(あっくん:仮名 とします)は、アメリカで生まれました。
1歳の時に帰国しているので、アメリカの記憶は彼にはない。
が、両親が「あなたはアメリカうまれなのよ」と話すので、「ぼくはアメリカうまれ」という認識だけはあります。(英語はかけらもしゃべれない)
さて、あっくん。
なかなかセンスのある子です。
私の幼児教室にきて、初日から、ぶっとばしてくれました。
走り回る子、かみつく子、しゃべれなくなる子、めちゃめちゃ勉強する子、いろいろみたけど、どれでもありません。
初日は、どの子も、筆圧を見るために迷路をやってもらいます。
筆圧はかなり低い。鉛筆はもてないから、クレヨンで訓練してから文字をやろう。そんな見極めをしたり、集中力をみたり、迷路をやらせながらいろいろみています。
あっくんは、迷路を一目見て、複雑な中の線を全部無視して1本かぼそい線を引きました。
「これくらい、僕乗り越えられる!」
どうやら、迷路の壁が低いから、壁をよける必要はない、ということらしい。
こういう答えは大好きだから大いにほめます。
ほめたら、この言葉が出ました。
「ぼくね、アメリカで生まれたんだよ」
「ぼくのおかあさんはね、べんごしなんだよ。おとうさんは、○○だいがくのきょうじゅ」
まだあっくんのことをわかっていなかった私は、失敗しました。
「それはすごいね」
あっくん、このとき4歳半、だったか。
すでに、他人から「すごいね」と言われる情報を把握していました。
それは、自分の生まれと両親の仕事。
ほめられたいときには、自己紹介すればいい。
両親の仕事を、目の前の大人に告げればいい。
そんなすりこみが彼にはありました。
ある種の成功体験なのでしょう。
「すごいね」という言葉が社交辞令なのか、
自分をほめてくれたのか、
両親をほめてくれたのか、
そこの違いはまだあっくんにはわかりません。
ただ、自分に向かって「すごいね」という言葉が大人から発せられることの心地よさ。
それを知ってしまっていたのです。
あっくんは、小学2年生までわたしの塾に在籍していました。
なかなか利発な子ですし、とんでもない知識もありましたが、
いかんせん、自分で書く、自分で解くという努力ができません。
おかあさまの教え込みのおかげで4歳児には唱えられた九九、
本当に必要な小学2年生段階ですっかり忘れてしまっています。
けれど、「僕は4歳で九九を覚えた」という「まちがった成功体験」があるので、
必要な努力をしません。宿題で出してもやってこない、
前で一緒に唱えようとするとカンニングする、
「僕は覚えてるから!」という謎の思い込み。
3年生からは地域で一番の進学塾へ行かれたのですが、その後どうされているのかちょっと心配だったり楽しみだったりします。
いつか、誰かが、彼自身の行動や彼自身を素直にほめてくれて、
そのことが、あっくんの喜びとなっていればよいな。