熟れていないパパイヤ

    先程、友人からこんなメッセージが届いていた。「最近本を読もうと思い立って」「なにかいい本ないかな」
    僕は心底嬉しくて、こうしてこれを書きながら本を見繕っているのだが、さて何にしようか。
    最近、本離れが叫ばれる。僕の耳にも、山彦の声ように何度も入ってくる。だからこそ、「読もうと思い立って」と思い立った人がいたことが、読書好きの僕にとって、嬉しいこと限りない。
    思えば僕の本との馴れ初めとも言えようものは、一、二歳の頃、しかも図鑑であり(それは小学生であった期間ずっと続いた)、小説となると、まだ熟れていないパパイヤみたいな中学一年生の中頃に、某ゲームを題材としたライトノベルが初見であり、ひたすら読み耽った。
    中学二年になると、山田悠介の『モニタールーム』(角川文庫)や、有川浩の『キケン』(新潮文庫)などを読み漁った。(実は僕の中学では、当時山田悠介の諸作品と有川浩『キケン』がブームであった。今思えば、多感な中学生に望ましい、本当に良い流行だった)。この読書傾向は、高校においても大して変わることは無かった。
    その後の浪人時代が転換期となって、日本の近代文学に興味を持ち、そして大学の生協で梶井基次郎の『檸檬・冬の日 他九篇』(岩波文庫)を買い、そこから井伏鱒二、夏目漱石、芥川龍之介、三島由紀夫…等、種々の文学を味わった。また最近は、村上春樹の言葉に惚れ、彼の影響もあって海外の近代文学のエヴァグリーン(不朽の名作)などを啄んでいる。
    長くなったが、ざっとこんなのが僕の遍歴だが、結局何が言いたいのか?熟れていないパパイヤの話がしたかったのか?いいや、違う。
    読書は、「本を読みなさい」と上から重石のように押し付けるものではない。押し付けることをしなくても、人は、読む本を自ら探していきます
    しかし、子持ちのあなたは「二十を少しばかり越えた、昨日大人になったばかりのような、しかも子持ちでもないヤツに何がわかる」と思うかもしれないし、実際、僕は、まだ熟れていないパパイヤのままだ。
    しかし、あくまで僕の経験でしかないが、誰かに読めと命令された文章に、興味なんて持てやしない。まさに僕にとっての教科書がその例だ。だが、自ら手に取って開いた本は、とことんまでその世界に身を浸してきた。それは昔も今も変わらない。
    だから、どうか僕がそういった方々、もしくはこの社会にお願いしたいのは、「本に触れる場所」、「本への興味を持つ環境」を多く作ってあげてほしい。そこに、そっとあなたの読ませたい本を忍ばせてもいい。そして、子ども(もしくは大人)の好奇心を十二分に活かし育む、そんな教育が実践していけるといいかもしれませんね。
    随分と長ったらしく語ってみたが、さて、友人に何をおすすめしようかな。今のところは、やっぱり、村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)かなぁ。しばらく悩んでみることとする。