紅を敷く

ワイン用語のひとつに「マリアージュ」という言葉がある。マリアージュとは、フランス語で「結婚」のこと。ワインは料理とともに楽しむ飲み物であるため、結婚と同じように、ワインの個性に合わせて相性の良い料理を選べばお互いの良さを引き立て合い、さらに幸せな時間が楽しめるということである。
ワインとはすこし離れるが、私にとっての食のマリアージュ。それは「牛丼と紅しょうが」である。
濃い味で食べ進めるごとに単調になってしまう牛丼の味に程よいアクセントとなる紅しょうがの酸味と刺激。牛丼のみでは味わえないシャキシャキとした食感。ビジュアル的にも牛丼の地味目の茶色にビビットカラーの紅が差し色となり食欲を掻き立てる。
ラーメン、たこ焼き、お好み焼き、チャーハンなど色々な食べ物に添えられる紅しょうがであるが、元バレーボール女子の日本代表で名セッターであった竹下佳江選手から放たれるトスのように、この紅しょうがこそが食のコンビネーションの起点であり、牛丼をはじめとする単調な味に新たな攻撃のバリエーションを与えるのだ。
たまに吉野家(ちなみにすき家は紅しょうがが小分けの袋に入ったタイプなので、たっぷり盛りたい人は吉野家の方がいい)などで紅しょうがを牛丼に盛ってる人を見かけるが、私の場合、少し食べ方が違う。私の場合、盛るのではなく、下に敷く。牛肉と玉ねぎを一旦よけて、紅しょうがを白メシの上に敷き、再度牛肉と玉ねぎで蓋をする。断っておくが、私は基本、食に対しては至ってノーマルだ。味覚も食べ方も。ただこの食べ方だけはなぜか強いこだわりがある。この行為に特に科学的根拠があるわけではない。犬がご褒美でもらった骨を土の中に埋めて隠す。まあそういった動物の本能的な類の行為ではないかと自分なりに分析しているが、ブラジャーのホックを外した時に溢れる乳頭を見るかのように、牛肉を箸で掴んだ際に下からあらわれる紅を窺い見るのが好きだ。
しかしだ。ここで想像してみてほしい。吉野家で牛丼をがっついてる人々の群れの中で、一人いい歳のおっさんが黙々と牛肉をよけて紅を敷くという行為を。まず無料の紅しょうがを多く消費してしまうし、品のない食べ方どころか、一種の変態性も孕んでいるカンジもして、なんだかとても後ろめたさを感じてしまうのだ。
だから私はまず店内を見渡し一番目立たない席に座ることを心がける。時間もできれば客の少ない14時頃がいい。とにかく人目を気にしながら、密やかに紅を敷く。そう密やかに、冷静に。
しかし紅を敷きながら頭の中では、
ベニ ベニ ベ〜ニ ベ〜ニ ベ〜ニ ベニ
ベイベー♪
俺の世界は おまえのものさぁ〜♪
もうノリノリで布袋寅泰の『スリル』が鳴り響いている。
そんな冷静と情熱のあいだで、私は紅を敷き、牛丼を食べている。
それでもやはり時々は、店員や周囲の客からの冷ややかな視線を感じとってしまうことがあり、途端に繊細な私の舌は紅しょうが牛丼の味を感じなくなってしまうのだ。
「人は他人を完全に理解することはできない。自分自身だって怪しいもんさ。100%理解し合うのは不可能なんだよ。まっ、だからこそ人は自分を、他人を知ろうと努力する。だから面白いんだな、人生は」
(新世紀エヴァンゲリオン 加持リョウジの名言から)
そんな牛丼を愛する、いや紅しょうが丼を愛してやまない私から牛丼チェーン最大手である吉野家さんにこの場を借りてお願いしたい事がある。
「紅しょうがをね、どうか有料にしてほしい」
あと「席と席の間に仕切りがほしい」
もう人目を気にしながら生きていくのに疲れたから。改装費もかかるから肉を少々減らしたっていい。そして、
お金で愛を買えるのであれば、私は200円くらいは別途出す覚悟はあるから。

どうか私に、好きなだけ紅を敷かせてください。