夜更かしの代償とTwitter脳ーー読書したとき考えたこと感じたこと

 先日図書館で本を借りた。
 この本を借りることになったのは全くの偶然だ。本当は別の本を借りて読む予定だったのだけどその本が棚に無かったのだ。せっかく図書館へ来たのだから何か借りようと近くの棚を通りがかったところ、この本を見つけた。
 普段は読まないジャンルだが、有名な古典だから題名とあらすじは知っている。背表紙の題名が目に入ったとき、ふと話の結末が気になった。それで何となく手に取ってみたのだ。
 試しに数ページ読んでみる。お、面白い……。すごく面白い。私はすぐにこの本を借りることを決めた。そして200ページ超のこの文庫本を家に持って帰ってから半日経たずに読み切ってしまった。
 速読家ではない私が食事や家事や身支度をしつつ本を読むために犠牲にしたものーーそれは睡眠時間だ。


 話が変わるが、ちょっと聞いて欲しいことがある。
 私は現在、自分の人生を少しはマシな方向へ立て直そうと本気で(なのによくサボリつつ…)取り組んでいる。
 取り組みの一つに睡眠の改善がある。疎かにしていた睡眠を健康的なものに、つまり、今までよりも長く深くとろうと言うものだ。
 ここ二週間の睡眠は理想的とは言えないものの以前よりかは“健康的”になっていた。ちゃんと眠ることを意識してからはっきりと自覚したのが、睡眠不足は身体はもちろんのこと精神にも悪影響だと言うことだ。
 良く眠れると精神に余裕が出たように感じる。と言うか、今まで私はあの(悪い意味で)過敏な状態が普通だと思ってたけど、あれは異常だったんだ……。


 1時間半の睡眠時間を犠牲にして、私は娯楽に没頭した。
 続きが気になってページを捲る手が止まらない本に出会えたのは本当に久しぶりのことだったので嬉しかった。反面、途中で手を止めて眠れば良かったと反省している。

 十分な睡眠を取れなかったので翌日は一日中うっすらと具合が悪かった。脳は変に覚醒しているのに身体はだるくて動きたくない。この脳と肉体のギャップもまた気持ちが悪い。
 足りなかった睡眠時間を取り戻すかのように、翌々日は起きようとした時間の一時間後に起きた。寝坊。なぜ早く起きなかったと自分を責める。

 完全な自業自得。
 たった一時間半の睡眠不足を取り戻すのに一日強かかった。
 未来の健康と自己肯定感に釣り合うものだったか。たとえ釣り合うものでも、今はそうすべきではなかったのに。


 ここでもう一回脱線。
 例の人生立て直しプロジェクトの一環で、私は3ヶ月ほど前にTwitterを退会した。アカウントを作ってから約10年、完全に放置し始めてからは丸5年経っていた。
 放置アカウントをわざわざ退会したときに感じたことについてもいずれShort Noteに書きたい。


 閑話休題。
 このわくわくする本を読んでいる最中に「誰かと共有してぇ~~~」という強い欲求がむらむらと湧き上がった。もし放置していないTwitterアカウントを持っていたら確実に呟いていただろう。
 「男の娘×世間知らずな少女の百合たまらん」
 「夏雲が春風に迫るときBLっぽいのが良い」
 「こんなのが1000年前からあるなんて日本始まってた」
 「やっぱり夏雲最低」
 「ヤバかった!偶然借りたけどもっと早く読めば良かった!」
 といった具合のツイートを。
 
 Twitterは楽しかった。自分の思考や感情が共感されるのはとてつもない快感だった。
 文字だけのやりとりで他人の興味を惹くには、自分が本当に考えた・感じたことよりも多少オーバーに書かなければいけない。顔出ししてない無名な凡人なら尚更だ。
 だからなのか、一切呟かなくなってからもう5年も経つのにまだ盛り癖が完全に消えていない。この文章の推敲時に痛感した。

 消えないのは強い「共有欲」もだ。承認欲求も少し混じってはいるが、それとは全くの同質ではないと思う。これは自身を認めて欲しいというよりも、誰かに話したい、同意が欲しい、そしてあわよくば影響させたいという支配にも似た欲求だ(これを「共有」と呼ぶにはいささか乱暴すぎる気がするけどぴったりの言葉が分からない)。
 この欲求は私が元々持っていたものなのだと思う。しかしTwitterにハマったことにより増幅されたように感じる。アカウントを放置してからは落ち着いたように思われたが、機会があると再びあの頃のように大きくなるとは。

 実は私はこれからSNとは別にブログを始めようと思っている。そこには取り留めのないことや読書の感想などを、思考・感情垂れ流しな呟きではなく他人が読むことを念頭に置いた文章として残すつもりだ。
 私は器用な人間ではない。だから、脳内垂れ流しの短文で欲を満たせばそこで満足してしまうだろう。考えたこと・感じたことを、自分自身と正直に対峙しながら他人向けに表現しなおすなんて以ての外だ。ブログを書こうと思うなら、脳内垂れ流し状態になってしまう媒体からは距離をとった方がいい。

 しかし白状すると今でもTwitterのTLが懐かしい。顔見知りではない誰かとの大きな一体感が恋しい。
 でも……やっぱりあのバーチャルな繋がりは欲しがるようなものではない。よく分かっているはずだ。だって夢中になっているのに心が満たされなかったでしょう。
 脳がTwitterを欲しなくなるまでどれくらいかかるのだろうか。
 リハビリはまだまだ続く。