苦ノートに向けて

様々な「苦悩するノート」略して「苦ノート」(略すな)を見て思うところがあったので、こんな時間だけど書いちゃう。
私自身、他人から相談を受けることはよくあるのに、他人に何かを相談するのが苦手だ。この原因は高校に進学する頃にある。
親に聞いた話によると、私は2歳になるまでほとんど喋らず、あーとかうーとかしか言わない子だったらしい。当時の記憶もないので、なんでそんなことしか言えなかったのかは自分でもわからないのだけど、2歳になってから今までとは人が変わったように喋りだしたのだそうな。
それから中学生になるまで、あだ名が「九官鳥」と言われるほどよく喋っていた。これは自分でも多少自覚はある。思いついたことは口にしないと気が済まない。歳を重ねるに連れてなんでもかんでも話すのはアホみたいだと自分でもわかっていたけど、少なくとも親にはなんでもかんでも話していたようで。それが功を奏して他人を救ったこともあるというのを最近になって聞いたのだけど、それはまた別のお話。
中学生の頃、今でこそ一大市場を築き上げた『機動戦士ガンダム』が放映され、その独特の台詞回しに魅了されたのか、なぜか声優になりたくなっていた。カセットテープレコーダーをテレビの前に置いて(直接端子で接続などできなかった時代だから)、再放送されたガンダムを録音して、何度も聞いては台詞を真似していた。ヒーローキャラの池田秀一さん(シャアの声担当)よりも、いろんな役をやられていた故・永井一郎さん(波平さんの声担当)の台詞の真似をしていたのも、また別のお話。
高校に進学する春休みの時期に某ファーストフードでアルバイトをしていた時のこと。
場所が渋谷だったというのもあるかもしれないが、食材を店から離れた倉庫から運んでいる途中に声をかけられた。いわゆる芸能プロダクションのスカウトマンだった。
おーこれは声優になるチャンスか!と舞い上がって、スカウトマンからもらった名刺を家に帰ると親に見せた。
「騙されてはいけない」
親から予想外の言葉が出てきた。
これはスカウトと称してレッスン料とか取るだけ取って、結局芸能界なんぞにはデビューできないのだと。
今でこそ、そういう業界の端くれにいる人間として、その意見は間違っていなかったと言える。まったくデビューできないとは言わないが、レッスン料取るだけ取って、それを運営資金にしているプロダクションは山ほどある。まあ、それはいい。
そーなんだー、と当時は素直だった私はしょんぼりしつつ、同時に声優になる夢(というほど大層なものではなかったけど)もしぼんでいったのだが、その話をこともあろうに親戚たちが集まる会合で親が笑い話として話してしまったのだ。
当時の大人たちの間ではインターネットもなかったけど「インチキスカウトマン」的な話は半ば常識だったのかもしれない。それに息子が騙されかけたというのを無駄に怒らずにネタにして笑い飛ばしたのは、サザエさん的展開で一見よい判断だったのかもしれない。
ただ、当時の私はほかのことではバカにされてもそんなにショックでもなかったのに、そのときは滅茶苦茶ショックを受けて、以来親には無難な内容以外、何も話さなくなってしまった。一番の相談相手だった親に相談をしなくなってしまったのだ。
だったら友人などに相談相手がシフトしたかと言えば、そうはならなかった。一番の相談相手だったと思ってた両親に「裏切られた」と逆恨みしたくらいだから、他人には相談などするものではないという心理が芽生えてしまったのだ。
ではなぜ他人からの相談を受けることはできるのかと言えば、それもまたおかしな話かもしれないけど、相談を受けるからにはちゃんと聞いて、その内容は滅多なことでは口外すまい。どうしてもネタとして話したい場合でも匿名で、本人とつながりのない人たちの前でしよう、というルールを設けてしまった。
そのルールを特に触れ回ったわけではないけど、その後他人から様々な相談を受ける機会が多々あった。最初は他愛のない内容だったものが、回を重ねていくとどんどん重たい内容になったりして。その理屈もなんとなくわかってきた。
たぶん、最初は人畜無害に見えるから、他愛のないことを相談してくるのだと思う。それが人によっては信頼を得て、次の相談、また次の相談、というふうに続いて、だんだん重たい内容まで相談してくるようになっていったのだと思う。
私のほうも、基本は聞き役に徹していて、具体的な回答や提案を出さないことも多かったのだけど、ただ「言いたい」という人は結構いて、そういう人たちからいろんな悩み事や愚痴を聞かせてもらった。これは今でも自分にとっての財産だと思う。
ただ、若くしてそんな体質になってしまったが故に、他人に相談することができなくなってしまった。若い頃はまだいい。多少失敗しても命を落とすわけじゃないからと、試行錯誤を繰り返して、それなりに乗り越えてこれた。20代まではなんとかなった。
結婚して限界を迎えた。
妻は職場の人気者で、そんな彼女を妻に娶ることができた私は果報者だと誰もが思っていた。正直、自分自身も最初はそう思っていた。
だが現実はそうでもなかった。これまた詳しく話すとさらに長くなるので、機会があれば別のノートで書くかもしれないが、簡単に言えば「常識感」が悉く違っていた。
結婚する直前からそこらへんはうっすら感じていたのだけど、結婚して二人で生活すればなんとかなるのではと思っていた自分が甘かった。
お互い、違う家庭で育ってきたわけだから価値観が違うのはわかる。それを結婚して夫婦生活していく中で、両者話し合って新しい価値観を生み出せばいいのだと思っていたけど、結果的にはこちらの価値観を片っ端から否定されて、妻の価値観に沿っていくしかなかったのだった。
まあ、変わり者扱いされているのは慣れているので、これを契機に常識人になるかなどと高を括っていたのだけど、無理だった。そして限界を迎えた。自分が死ぬか離婚するか、どちらかひとつだというところまでになって、結局離婚を選択することにした。
妻は世間受けはよかった。おそらく自分が我慢していると思っていることをいくら言っても、それはお前が非常識だからだと言われると思って言わなかった。だが、友人と両親だけは違った。たぶん、生まれて初めてだと思う。「人に嫌われようと後ろ指をさされようと悪人扱いされようと構わない」と思えたのは。それも一握りの人たちが私の考え方を支持してくれたからだと思う。それも、相談しなければ得られなかった支持だ。
その後、先方の親も交えていろいろと話し合ったのだけど、結局平行線を辿るだけだったので、これはらちが明かないということになって別れるに至った。どちらがいいとか悪いとかではなく、ひとつでも価値観を共有できないのであれば、拠り所がなくなるということがわかった。
では、それ以降、他人に相談するようになったかと言えば、やはり相談を受けるよりもするほうが苦手なのは変わらない。それは離婚後も人間不信に陥るようなことがあったりしたからなのだけど、それでも昔に比べれば多少は相談できるようにはなったと思う。
だから今でも生きていられるんじゃないかな。
結局とりとめのない内容になってしまったけど、ひとりで抱え込まずに誰かに相談することができれば、それに越したことがない、ということが言いたかったわけです。
私からは以上です。
次からはまたくだらないことを書きます。