時々知らない方言が混じる

 この間の土曜日に実家に婆さんが泊りに来たので、久しぶりに顔を見せに行ってきた。
今回の宿泊の目的は髪を染める事であり、近所にある弟の美容院に定期的にやってくる。
頻度としてはだいたい三か月に一度くらいだろうか。
私は体が空いていたらなるべく会うようにしている。
婆さんは膝が悪いので歩く時には杖が必須だが、九十を超えてなお口だけは達者だ。
この間は夜だったこともありたまたま二人きりになったので、話が弾んだ。
最も、会話の主導権は常に婆さんにあり私は頷いたり、「へぇそうなんだ」とリアクションをするばかりである。
お年寄りあるあるだと思うのだが、歳をとると同じ話を何度もする。
良い話もあれば、悪口のこともある。
人間執念深いもので九十年も生きていると恨みや辛みが沢山出てくるなんてものじゃない。
わかりやすく言い換えれば愚痴ばかり言うようになったという事だ。
昔は頑固だった秀じぃに絶対服従で、亭主の三歩後ろを黙って進むような人だった。
時おり両親や秀じぃの目を盗んでお小遣いをくれたのもいい思い出だ。
基本的には無口で優しいお婆ちゃんという存在だった。
 そんな大人しいお婆ちゃんだったが連れ合いを亡くしてからは、それまでの足かせが取れたかのように活動的になり地域の行事にも積極的に参加するようになった。
心臓を患うまでの数年間はそれはもう顔役になるくらいの活動をしていた。
婆さんが入院した時の話は以前書いたが、その頃から婆さんと私は祖母と孫というよりは何だか茶飲み友だちというか、お互いがなんでも話せる関係になってきた気がする。
私が独身の頃に外回りの途中で婆さんの家の近所に行く時は必ずコンビニでお弁当を二人分買って、いきなり訪問したものである。
いつ訪ねていっても婆さんは「まぁ、あんたよく来たねぇ」と笑顔で迎えてくれた。
お茶を入れてもらってお昼を食べながら近況報告をしあう。
思えばその頃にはすでに婆さんの悪口成分はちょっぴり多めになってきたような気がする。
田舎なのでお隣さんが勝手に家に上がり込んでくるとか、それは犯罪なのではという話を良く聞いていた。
その方も亡くなってしまい、ご近所で婆さんの昔からの知り合いは一人だけになってしまった。
一応隣の家には叔父が住んでいるがあまり交流が無く一週間くらい顔を見ない事も普通らしい。
とまあ、そんな愚痴を聞いていたのだが、歳を取ってディサービスを利用するようになって再び生き生きとするようになった。
たまにする電話でも「今日はこんなことをした」とか「誰かの誕生日祝いをした」とか細かいことまで一つ一つ楽しそうに話してくる。
私もそのうちに個人名などを覚えてきて、あぁあの人ねとわかるようになってきた。
そのくらい婆さんの説明は長くて詳しい。
電話でもその騒ぎである、たまに顔を見せに行くとそれはもうよく来たと喜んで迎えてくれる。
大抵は妻が一緒なのだがあまり話しかけることは無い、とにかく私に話したいことが山ほどあるのだ。
わりと頻繁に連絡を取り合っているのでそんなに目新しい情報はないのだが、婆さんはお構いなしである。
あの人はこうだとかこの人のここが嫌いだとかの愚痴がまあ出てくる出てくる。
先日はディサービスのレクリエーションでリハビリルームを二周歩かないといけないのに、ズルして一周しただけでゴールをした斎藤さんというお爺さんが許せないと憤慨していた。
何でも斎藤さんは小学校の校長先生をしていたそうで、そんな立派な経歴の人が不正を働いたのが我慢ならなかったらしい。
その場では文句を言わなかったが帰りの送迎の車ではその話題で持ちきりだったらしい。
婆さんは多分に口から産まれたと言われている超おしゃべりの母の親であると伺える点がいくつもあり、DNAの繋がりをこれほど認識させてくれる人もいない。
 先週会ったばかりではあるが、月曜日は敬老の日である。
今年はお互いの用事が立て込んでおり会うのは難しそうである。
せめて電話の一本でもかけて祝福の言葉を贈りたい。
そしてどうしても言えない言葉である「愚痴ばかり言わないの」と言ってみたいものである。
そんなことを言ったら百倍返しで反論が返ってきそうで恐ろしくてとても言えない。
げに老婆とは口が回るものである。
敬老の日おめでとうございます。
お年寄りを大切にしましょう。