人よりも多く、持ち歩いている気分で。

僕はいつも荷物が多いのです。
ガジェット好きなこともあると思うのですが、携帯ゲーム機やタブレット、電子書籍リーダー(そして、それら用の充電機器も)、未読の専門誌、果ては読もうと思ってまだ読めていない論文などまで。
特に夜勤では少し勤務時間が長いせいもあるけれど、荷物がとても多かったりします。
そうしたものを準備している時の僕自身を振り返ると「もしかすると、時間的に余裕ができるかも!ゆっくりと読書ができるかも!」というような『楽観的な予想の風を帆に受けつつ、張り切って社会の大海原に乗り出そうとしている感じ』ではないのです。
どちらかといえば、「時間があったときに、ボンヤリと無駄に過ごしてはもったいない!何かの時のために十分に準備しなくてはならない!」という感情が強いと感じています。
そう。僕は「損をしたくない気持ち」が強いのです。
「損をしたくない気持ち」は、いつも僕を見張っています。
そして、その「損をしたくない気持ち」は、僕のことを変に駆動させます。
欲しかったゲームはAmazonのレビューをみて、買うのをやめてしまいました。
Netflixにあった観たかった映画も、思ったよりも星の数が少なくて、なんだか観るのをやめてしまいました。
あまり楽しくないソーシャルゲームでも、ライフがたまるとついついプレイしたくなります。
スーパーで安売りのお惣菜を喜々として買うものの、あまり食べなかったりもすることもあります。
「ああ、僕は損をしたくない気持ちに、いつも損をさせられているなあ・・・」と、ふと思いました。
そんなことを考えながら、休憩室に移動するために荷物を手にとりました。
すると、そのズッシリとした重さが、まるで不安を他の人よりも多く抱えていることの象徴のようにも感じました。
いや、でも。
同時に、僕はこのズッシリとした感じには少し安心したりもしているなあ、とも感じました。
確かに、ある種の不安の現れとも考えられるのだろうけど、そのもう一方では――まあ、そんなに胸を張っていうようなことでもないかもしれないけど――「この重さは、僕が僕自身で、自分の不安な気持ちを支えようとしていることの象徴でもあるのかもしれない」とも、僕は感じました。
少しでも、安心できたらいいか。
まあ、それはそれでいいじゃないか。
安心を持ち歩いても、不安を持ち歩いても。
それらの両方を持ち歩いても、僕は。