斗瑠子さん

たとえば私が日本人代表ではないのと同じように、先日、私が仕事で遭遇したトルコ人女性も、いうなれば「斗瑠子さん」であって、「トルコ人」ではないのだ。
だからトルコ人ではなく、斗瑠子さんの話をする。
斗瑠子さんは、全く日本語がわからない。英語も話さない。トルコ語でまくしたてる。こちらが理解していないことなど、意に介さない。なにやら言いたいことを、トルコ語で、言っている。最後は疑問文だったのか、私の返答を待っているようだ。
どうして、異国の地に居住して、同地の言葉を解さずさらに英語も話さずに、そんなに堂々としていられるのか。返答しない私をそんなにまっすぐに見つめられるのか。相手に絶対伝わってないと思われる状況で、なぜそんなに自信満々なのか。
せめて伝える努力をしようよ、努力しているフリでいいから、今の事態を打開しようとする頑張りを見せてよ、と言いたい。けど、言えない、トルコ語だから。
いや違う。日本語でも言えないのだ。たとえ誰が相手でも、不遜な気がするから大抵の日本人は言えない。言えないから、斗瑠子さんみたいな人が増えて、斗瑠子さんは何も困らない。
しかたなく〈日本語⇔トルコ語対応表〉なる虎の巻を出して、意思の疎通をはかる。
私の職種は公僕ではないからそこまでする義務はないし、さらに日本代表でもないけれど、一日本人として、頑張りを見せるのだ。
この頑張りが仇にしかならないことも、なんとなく、薄々感じつつ。