たい焼き

 ときどき無性にたい焼きが食べたくなります。財布を引っつかんで商店街まで出て、いつものたい焼き屋へ行きます。
 「これから焼くから、ちょっと時間かかるけど、いい?」おばさんが申し訳なさそうな顔でそう言いますが、下はすでに熱々の餡こ味。強烈な太陽が照りつける中、わたしはきっぱりと、
「はい、待ちますっ」と答えます。

 たいていのたい焼き屋は、焼いているところが通りから見えるようになっています。製造過程を見ているだけでおもしろく、待たされたって苦にもなりません。
 焼き型に、小麦粉で下ごしらえした生地をトロ~リと流しこみ、手際よく餡こを乗せていきます。もういっぽうの型も生地をたらし、固まり加減を見ながら、ガッチャンと両型を合わせ、じっくりと焼きます。
 型を開いて、こんがりキツネ色に焼けたたい焼きの出来上がりです。できたてのたい焼きのあの匂いといったらありません!

 2尾買い、近くの公園のベンチに掛けて紙袋からほかほかのたい焼きを足り出します。頭からはむっとかじり、口の中で生地と餡こが混ざり合う食感を楽しむのです。それこそが、わたしにとって至福の時間。

 たい焼きの具にはバリエーションがあります。つぶあん、こしあん、白あん、カスタードクリーム。ほかにも、チョコレートやチーズ。栗きんとん入りのたい焼きがあれば、ぜひ食べてみたいです。きっと、相性バッチリだと思うのですが。
 
 たい焼きとひと言で言っても、どうやら奥が深いようです。
 たとえば焼き型にしても、1匹ずつ焼くものと6匹同時に焼くものがあります。1匹ずつ焼いたタイ焼きは「天然物」、まとめ焼きしたものを「養殖物」などと呼ぶそうです。本物の魚のようでおもしろいですね。焼きかげんも変わってきますから、風味も違うらしいのです。機会があれば、両方を食べ比べしてみるつもりです。

 餡この量も、たい焼きファンの間では、しばしば論争の的となるのだそうです。
 わたしとしては、餡こはしっぽまで入っていたほうがお得感があるのですけれど、しっぽにまで餡こを詰めるのは邪道である。しっぽは、甘いあんこの口直しのためだ、と反論する人もいます。
 逆に、「かつて、日本が貧しかったころ、高価な餡この量を減らし、そのぶん安く売るための工夫だった。現代は豊かな時代なのだから、餡こはしっぽまで入れなくてはならない」と意見する人もいます。

 どちらも、もっともな意見に聞こえます。

 はっきりしているのは、熱弁が飛び交うほど日本人に愛され続けてきた食べ物なのだ、ということでなんでしょうね。
 先日「白いたい焼き」を食べました。皮の食感がモチモチとしていて、これまでにない味わいでした。
 さきほどの例えになぞらえるなら、さしずめ「突然変異物」とでもいったところでしょうか。