天使のバイト

 若い頃の俺は本当に金が無かった。一夜の宿を求めて友人宅を渡り歩く。そんな俺に貧乏神などという渾名がついたのも当然のことだろう。競馬新聞の三行広告から楽そうな仕事だけを探しては日銭を稼ぐ。テレクラの受付からサラ金広告のチラシ貼り、はては未払い新聞代金の徴収までも宵越しの酒代を稼げることならば何でもやった。本当に最低だったと思う。
「まとまった金さえあればこんな暮らしから抜け出せるのに」安酒に酔うには十分過ぎるありきたりの言葉。こんな生活が死ぬまで続けばいいのにと心の何処かで願っていた。
高給日払い。バイト急募。男女不問。
○即日面接○即日採用◎日当四万円
【神の息吹】xxx-xxx-xxxx
 三行広告にはまっとうな人間が嫌がるようなグレーな仕事も多い。そんなことは充分わかってはいたけれどやはり日当四万円は魅力的だった。ヤバいようならば途中で引き返せばいい。金が入ったらギャンブルで倍にして安い部屋でも借りよう。俺は神の息吹に電話した。
「白い靴を履いて来てください」
 教えられた場所はJR神田駅の近くの小さな神社の裏にあった。薄汚れたピンク地に「神の息吹」と描かれた白字が浮かぶ看板はスナックかなにかのようだ。周りには他にいかがわしい店などもなく、呆れるほど危険な匂いはしない。なるようになれと開けた薄暗い店の中には既に男女を含む三人の希望者達が集まっていた。
「四人集まりました。定員です」
 秘書らしき女が鍵を閉める。俺達は地下室に続く階段へと促された。もしかしたら性的な興行か何かなのだろうか。此処まで来たのだから話だけでも聞いてみるか。少し緊張しながら階段を降りていく。降りた先には蛍光灯に照らされた机が並ぶごくごく普通の部屋があるだけだった。
「ようこそお越しくださいました。まずはそこにお座りになってヘッドホンを付けてください。前方のスクリーンに映像が出ます。みなさんの準備が出来次第、講習会を始めたいと思います」
 此処から先は誰に説明したとしても絶対に信じてもらえないだろう。雇い主は神だった。スクリーンには世界大戦の映像が映し出され、何故か自分の声でナレーションが流れはじめた。神がいかにこの世を憂いているか、どうしてわざわざこんな仕事を依頼するのか。悪魔という存在についての考察。自分が過ごしている今この時がいかに抜け出し難い地獄なのか。ただただ心が苦しかったことを覚えている。
 説明が終わる頃には俺はすっかり神の存在を信じていた。あれを聞いたらわかる。誰もがきっとそうなるだろう。決して抗えないなにかがそこにはあった。突然服を脱げと言われる。男も女も全裸になり、代わりに腰に巻く白い絹のような布を渡された。それを纏うと今度は上半身に白い塗り湖を塗られる。それは乾くと不思議と暖かく、秘書は神の加護だと説明した。耳に小さな白の無線機がつけられ、顔には金色の隈取りも施された。
 最後に二丁のピストルが一人ひとりに手渡されていく。それは子供の頃に持っていたルガーという銃だった。あの時と違うのはそれが金色に塗られていること、そのせいかズッシリと重みを感じることくらいだ。
「今日、皆様にはこれから穢れを撃っていただきます。この神の銃は人の穢れを撃ち抜くことができるのです。試しにお互いの体をご覧ください」俺は上半身に白塗りが施された女を見た。左肩に痣のようなものが見える。
「それです。撃ってみてください」
すぐに破裂音がして背中の左側に激痛が走った。俺は撃たれたのだ。後ろを見ると金色に輝く銃口がこちらを向いている。撃たれた脇腹に手をやるとそこには金色の穴がポッカリと空いていた。血は流れておらず不思議と痛みももう無い。
「今撃たれた場所はあなたの穢れです。もう以前のような怠惰な生活を送ることはできないでしょう。まだ撃たれてない方は他の人にお願いしてください」秘書は顔色ひとつ変えずそう言った。
「撃って下さい。お願いします」ゆっくりと女の肩に銃口を向ける。銃口は丁度穢れの上の辺りでカチリと止まり動かなくなった。これで彼女を殺してしまうことはない。さっき撃たれたばかりの自分が証明している。乾いた音を生み出す引き金はとても軽かった。
「それでは行きましょう」
 金色の穴が空いた天使達は用意された白のバンに乗せられ、どこか知らない雑居ビルへと連れていかれた。今日の仕事は中にいる人間の穢れを撃つことだという。神は金色の弾丸を作ることはできても、人殺しの道具の形をしたピストルには触ることさえできない。天使のバイトが存在する理由だった。
 雑居ビルの中には小さな事務所が蠢いている。扉を勢い良く開け中にいる人間達を撃つ。照準が心臓のあたりに来るとやはり銃口が固定されるような感覚が腕に伝わり、俺達はただ引き金を引きさえすればよかった。血が流れることはない。金色の穴が体にあくだけだ。撃たれた人間達はその場に次々と崩れ落ちていった。無線からは気絶しているだけとの説明が流れる。二丁のピストルの弾倉がなくなる前にミッションの終了が告げられ、俺達はバンへと戻った。多分十五分くらいの事だったと思う。
 それだけだった。白塗りを流すために用意されたシャワーを浴び、日当を受け取った俺たちはすぐに解放された。翌日、心配になって一日中ニュースを見たけれど、あの事件に関することは何もなかった。神はいるのだ。
 その後、呆気ないほど簡単にあの怠惰な生活から抜け出す事のできた俺は今は普通の人生を歩んでいる。貧乏神なんて呼ばれることも無くなった。あれからもう二十年も経っただろうか。
 テレビを見ていると、今も謎に包まれる世界で起こった未解決事件についての特集が組まれている。あの日、齧り付いて見ていたテレビを騒わせていたのはまったく別の事件だった。ヨーロッパで起きたマフィア襲撃事件。どうやらあの事件はまだ未解決らしい。大量殺人に使われたのはルガーという銃で、ナチスドイツが残したものと考えられているそうだ。
「未だ不明の犯人達は白い悪魔と呼ばれており、、、」
 テレビを消して仕事に行く準備をする。脇腹に残った金色の穴は今も全然痛くない。