今年、4本目の映画を観て

今月末が期限のチケットがあと一枚あったので、
クリント・イーストウッドの「運び屋」を観てきた。
大きな山場などはない映画だったが、身につまされる作品だった。仕事に熱心なあまり、家族をないがしろにしてきた老人の自戒の念を描いたような映画で、どこか自分の人生の延長線を見ているような気になった。
私の場合は仕事に熱心で、家庭を壊してしまったわけではなかったし、仕事熱心でもない。
本当は、読んでくださる方を笑わせたくなるサイクルだったのだが、ちょっと今日はそういう文章が書けそうにもない。悲しい映画というわけではないのだが…。
懐かしい気がしたのは、クリント・イーストウッドの元奥さん役の女優が、「シザー・ハンズ」でジョニー・ディップが居候?していた家のお母さん役の女優だった。名前は知らない。
若い方は「シザー・ハンズ」も知らないでしょうね。
これは、私がジョニ・ディップの主演した映画の中で一番好きな作品だ。今よりかなり観た時の感性が若かったけれど…。
先日、「グリーンブック 」を観てきた話しを書いた。
その時に、翻訳字幕担当の戸田さんという方のことに触れたのだが、今日の映画では始まって3つ目の台詞くらいで、この訳者は戸田さんではないと感じた。エンドロールの翻訳者の名前は、確かに違った。
前にも書いたが、私はほとんど英語が解らない。しかし、この映画の字幕が戸田さんが書いたものではないということは、直感的に判る。別に自慢ではないし、ただの勘である。
ここで文章を書いていても、口語体の表現や会話を再現する際に、読む人の居住地域が多岐に渡ると、どんな表現が適切なのかを頭の悪い私ですら考えてしまうことがある。
全国で上映される映画になれば、それこそ言葉選びや表現が難しいのだろうと思う。
作品はとっても良かったのだが、台詞が「グリーンブック 」の時のように、腹にストンと落ちる気がせず、もっと滑らかに心に届く表現があるのではないかと、英語も解らない私が生意気にもそう思いながら観ていた。
おそらく、全国で上映されるからと言って、すべてをきれいな標準語で表せばいいというものでもないのだろう。江戸弁でもダメだし、関西弁ばかりでもダメ。
自分がここに文章を書く時ですら、口語体を標準語で書いていると、「いや、それではニュアンスが伝わらない?」と、キーボードを打つ手が止まってしまうことがある。
私がここに書いているのは自分の楽しみでしかないから、読者の腹にストンと落ちない表現を使っていたとしても、誰もそれを指摘してくる人などいない。しかし、戸田さんのように日本語を読み手に上手く伝わるように書いてみたいと思う。
聞くところによると、私がこんな風に絶賛している戸田さんへも、ネット上などではディスるような投稿も多いらしい。それなら、そういう人たちがどんな日本語を書くのか読ませて欲しいものだと思う。
上手い、下手というような話しとはまた違う。
羅列した文字でそこには書いていない行間や、しゃべりで言えば言外の部分をどう伝えるか…。
(関西風の表現でいうと、「みなまで、言うな!」という感じか?)
映画を観て、何を考えながら帰って来ているんだか・・・・(・_・;
物語をもっと純粋に楽しめばいいのに、やっぱりちょっと私は変わり者?
次は何を観ようなかぁ〜🤪