七転八倒のすすめ

 早朝の会議が終わって昨日とはまるで違った冷たい空気のビル街に出た。
雨上がりの洗い流した歩道を一歩ずつ刻みながら駅に向かって歩く。
昨日受けた相談の答えが見つからないまま一夜を棒に振ってしまった。
何かがまだ心にひっかかって答えを探し続ける。

「何と言ってあげたらいいんだろう……」
そのまま人ごみに紛れてしまうのを避け、よく知る蕎麦屋の二階の座敷に座らせてもらった。すりガラスの窓がまだ残った雨の露で一面銀色に輝いている。
店のほうは私を気遣って、こちらから声を掛けるまで上がってこない。


 10年前、富山から東京の音大に進み、地元の中学で教務をとったが、再び東京に戻り、
仲間とバンドを組んで活動した青年がいる。
結構人気のある実力派バンドだったらしい。CDも何枚か出したそうであるが、
思うようにすぐメジャーデビューとはならなかった。
そして昨年夏、親が脳梗塞で倒れたのを機に、実家の旅館を継ぐ決心をしたそうである。

ところが今年に入って一気に客足が遠のいた。
地元の観光客誘致がお粗末でどんどん隣町や近県へ流れていったそうである。
彼には学生のころ知り合った内縁の女性がいた。子供もいるが、いまは相手方の親元に預けた状態で、二人とも自由に働ける状態だという。
そこで二人は進路について真剣に悩むことになった。

「死に物狂いでやる覚悟がある...。ここでダメなら死ぬしかない...。」

  ―― どうしたらいい? 

私への相談とはそういうことだった。

 

彼も彼女も生きることに真面目に向き合っていた。
付き合ったことも、教師を辞めてバンドを始めたことも、そして旅館業も。
楽なことや、都合のいい条件にフラフラしたわけではないのに。

しかし“何か違う”――と、私は胸の中で消化しきれずにいる。
それが見つかったら彼らに伝えたい……。 

 ・彼は何を答えに求めているのだろうか? 
 ・彼らにとって“良い目標”というものは存在するのだろうか?

この二つが何度か話をしてもはっきり見えないのでかなり悩んだ。
 

彼らが私の身近な人ならきっとこう答える。
 ――子供さんと3人で頑張るところから始めたほうが良い。
 ――顧客誘致は町頼みでなく、組合で考えるべきなのでは。
 ――新しいサービスを出し合っては?
 ――異業種からの意見を参考にしてみては?  ...... 等々

 
人の価値観は百通りあると思う。
私の生きがいと彼の理想や納得とは違うし、たまたま良い策を巡らせたとしても、
それでもまだ私の中の“何か違う”という思いは消えないだろうと思う。

 

そんな中SNの記事を見ながら常思うことが頭によぎりました。 

 「あなたは七転八倒していますか」――ということ。 

様々な記事の中には面白くまた楽しい記事の他に、現在抜け出せなくて、
本当に悩んだり迷ったり望んだりした末の、本音が混じっています。
そんないくつかのノートをじっくり読ませていただいて、
「あなたは七転八倒していますか」と聞いてあげたい時があるのです。
 

そう、相談に来た彼らは自分の才能や機会に素直に運命をゆだねる代わりに、
「七転八倒する覚悟」が欠けているように思えたのです。

その覚悟があれば教壇に強い使命を感じたのではないか。
何年か先、40歳を超えるかもしれないけれど、バンドも大きく飛躍したかもしれない。
我が子を手元から切り離して立ち向かうのもいいけれど、
死ぬ覚悟なんて必要ないし、周りも迷惑だ。
そんなものより、“七転八倒する覚悟”が必要なのではと思った。
さらに言うなら、七転八倒するつもり――でなければならないと思った。
そうすれば一つ一つの結果に慌てることもなくなる。

もっと悩んで、もっと時間をかけて、もっと子供に手を取られていい。
考えて考えて考え抜いて、七転八倒することを目指してほしいのだと気が付いた。
 

 

今日は土曜日。
今から電話します。
月曜から行動を開始できるはずです。