夏の釜飯御膳

29歳の誕生日
20代最後の1年は
「後悔しない」
「会いたい人に会いに行く」
と決めて始まった。
初めて就職した先の社長とお昼ご飯を食べる約束をした。
ハガキを出すことはあっても
自ら電話をかけて話すことは少なかった。
だけどどうしても会いたかった。
緊張しながら電話をかけて
「良ければお昼ご飯食べませんか」
と話すと
少し照れたように「なんじゃぁ、そうゆうことか」と
笑って承諾してくれた。
私の祖父のような、父のような社長だ。
朝、駅で車を借りたころ、電話をくれて
待ち合わせ場所を決めた。
1年に1度程度しか走っていないその土地も
車はもう慣れたものだった。
社長が先に着いていて、席で待っていてくれた。
数年ぶりになるので、凄く衰えていたり
凄く小さく見えてしまい、ショックを受けたらどうしよう。
なんて緊張していた。
祖父でもおかしくない年齢の社長だ。
いつまでも変わらないわけはない。
そんな私の緊張や心配はすぐに吹き飛ぶ。
パリッとしたシャツに整えられた髪
丁寧にかけられたスーツの上着
「おぅ」と挙げた手もシワが増えたけれど
変わらない社長がそこにいた。
「好きなもの頼みんさい、わしもう頼んだけぇ」
好きなものを頼んで少しづつ食べて残りを食べてくれるような
わがままランチは、もうしないらしい。
「わしんじゃない」がもうないのだ。
少し寂しい。
そんなにもう大食いじゃないことも
きっとぐんと痩せた私を見て思っただろうか。
ゆっくりと食べながら
「お前とようこうやって昼飯行きよったの
お前が一番行ったんじゃないか」
「多分そうですね、たくさん連れてってもらいましたよ
その分、太りましたが笑」
「なんじゃぁ笑
まぁそういえばちぃーと丸さは無くなったの」
「ちぃーと」なんてレベルではない。
一番太った時期からすると7キロは落ちている。
前回会った時よりも、メイクも上手くなった。
と言うより、30手前にして年相応にできるようになった。
昔話に華を咲かせる、とはこのことだと思う。
釜飯御膳を大切に噛み締めた。
食べ終わってコーヒーを一緒に飲んだ。
変わらず、ブラック。
「あいつの結婚式行ったんよ、わし」と
先輩の話になり、
「お前はどうなんか」と聞かれ
渋い顔をしながら、
「まだまだです。今の仕事でやっとやりたいこともできて
認められてきたんで」
「ほうか。まぁまだええんじゃないんか」
と笑う社長の顔がにやけていてくすぐったかった。
本当のおじぃちゃんに「まだ嫁に行くなんて寂しいこと言うな」と
言われているようだった。
そんな話をしながら何度も手に巻いた
テーピングを直していたから
「手、痛めましたか?ゴルフ?」と聞くと
「手が最近痛とぉての。」と頼りなさげな顔になる。
いつものことだ。痛いことや疲れたことを
結構大げさに言って心配させるのが上手だ。
ただ、もう年齢も年齢なだけあって大げさではないかもしれない。
あと何度この人とこうしてご飯が食べられるだろう。
あと何度、こうして笑いあえるだろう。
考えずには入られなかった。たまらなかった。
そろそろ出ようか、と店を出て
持っていた紙袋を手渡された。
「土産じゃ」と笑ってくれた。
私もお中元代わりのものを持ってきていて
なんだかお土産交換みたいになってまた笑った。
最後に「ほぃじゃあの。また連絡せぇ」と言って
握手してくれた。
分厚さ、力強さに涙が溢れるのを堪えた。
「また!美味しいご飯一緒に食べてください!」
そう言って別れた。社長は少し日焼けしたシワシワの顔で
笑って帰っていった。
車に駆け込んで溢れる涙をそのままにした。
「分厚い、暖かい、あぁ、元気だ」
あの手が大好きだ。
本当の祖父のように思ってきたのは私だけじゃない、
きっと社長も娘や孫のように思ってくれている。
そう感じる社長の暖かい手。
痛い、なんて言ってたけれど
そんなこと感じさせないくらい分厚くて柔らかくて暖かい。
あの手の感触と嫁にはまだ行かんでええ、と言って
笑った笑顔。
夏真っ只中に食べたアツアツの釜飯御膳は
心の中を存分に満たした。
かけがえのない宝物。
父も祖父もいない私に神様がもたらしてくれた
最高の社長だ。