些細なことかもしれないが頭にきて。... by まいこ | ShortNote

些細なことかもしれないが頭にきて。
事の発端は、わたしがMさんの誕生日を忘れたことにある。
あのさ、忘れたにしてももうちょっと上手いこと聞き出すとかできひんの?誕生日忘れるとか、ふつうみんな傷つくって。もっと言い方に気をつけた方がいいで。たぶんみんな思ってるから。
わたしはこういう、個人の意思を世間の総意として提言されるのが、大嫌いだ。みんなって、どこの誰だよ。それで、みんながそう思うから、だからなんなの?短い会話の中で、Mさんは2回もそれをやってのけた。あーあ、ほんとこいつとは気が合わないわ。
だいたい、誕生日を忘れられて傷つくのは、それはMさんの価値観であって少なくともわたしは傷つかない。もちろん親や長年の恋人に忘れられたら悲しいだろうが、Mさんとの付き合いはせいぜい半年。それでぎゃーぎゃー騒ぐなんて、女子高生じゃあるまいし、いい大人が何を言っているんだ、というのがわたしの価値観だ。しかし、Mさんがそういった感性のもとに生きていることはわかっている。Mさんを傷つけたことに関しては申し訳ないと思った。だが、「誕生日を忘れるなんておまえがおかしい」と言われるのは腑に落ちない。そんなもん覚えてられるか。
ふたつめ、「言い方が無神経だとみんなが思ってるから直した方が良い」という発言。これは過去に会社の同期にも言われたことがあるから、そう思う人が多数いることは間違いない。だが、気にしない人は気にしない、ということをわたしはわかっている。つまり類友というやつで、少なくともわたしが「気が合う」と思っている友人たちは、わたしのことを好いてくれている。それだけで充分じゃないか。なぜ誰だかよくわからない“みんな”のために、(そして嫌いな同期のために、)直さなければならないんだ。同期への鬱憤が溜まっていたわたしは、そのとき堪忍袋の緒が切れたのだった。
どちらも腹が立つのは、「自分の感覚が世間の常識」と思っているところだ。そんなこと言ったら、わたしにとってはわたしが常識である。「自分が傷つくから、嫌だから、直してほしい」と、そう言えばいいじゃないか。もしそう言われた相手が大切な人なら、わたしだって考え直すかもしれない。わたしはみんなと会話してるんじゃない、君と話しているんだよ。
Mさんは、しょっちゅう「みんな」という言葉を使う。特に、何かへの不満を訴えるときだ。「それはさ、みんなじゃなくて君がそう思っているんでしょ?」と指摘すると、「みんなだよ!ネットで検索してみいや!」と声を大にして言われた。彼は学歴にコンプレックスがあるらしいが、こういうときに最も知性のなさを感じる。別に自分が理性的だと言いたいわけじゃない。でも、ネットの言葉を鵜呑みにして、それが全てだと思い込む人を間近に見ると怖い。なぜ、個人の意見として主張するだけではダメなのか。わたしにはよくわからない。