仏壇掃除

母の実家は本家。仏壇には母の旧姓を繋いできた人たちがみんないる。私は今日、その仏壇を生まれて初めて掃除した。
仏壇に触れてはならない。子どもの時はそう言いつけられていた。私もどこか怖くて、触れることはなかった。
しかし私はもう大人。怖さはなくなったし、何より世代交代が近い。私はこれから仏壇掃除くらいできなければならない。
お供えされたものや小さな遺影、ろうそくなど、仏壇に置かれたものを全てどかす。ご丁寧に透明のしっかりしたシートでカバーリングされた布も外し、うっすら積もった埃を落とす。
綺麗に落とせたらどかしたものを全て元に戻し、仏壇横の隙間に誤魔化すように置かれたいらないものを捨てる。捨てる。捨てる。
何だこれは。いらんもんばっかりじゃないか。私が学生時代お供えにと買ってきた甘春堂の干菓子もあるし。ため息をつきながら、タンスならぬ隙間の肥やしをごみ袋に移した。
右の隙間が片付いたので、左の隙間にその手を伸ばす。賞状がたくさんあった。大抵は祖父のもので、「長く勤めて偉かったね」みたいなもの。
その中にこんなものがあった。
これは曾祖父のものだ。総理大臣が海部俊樹の頃の「亡くなって残念だったけど云々」と書かれたものは仏壇の上にずっと飾られているけど、叙勲のものがあったとは知らなかった。
勲八等白色桐葉章は戦死した人には皆与えられたものだと思う。曾祖父は抑留死だが、まあ戦争関連死だから戦死でいいだろう。受け取り手のいない埃を被った姿が、何とも物寂しかった。
賞状は全て埃を払って元の位置に戻した。戻す時に奥に目をやると、小さなアルバムがあった。付箋が付いていた。
開くと「(祖母の名) 遺影」と書かれていた。祖母は生きている。どうも自分で遺影にしてほしい写真を選んでいたらしい。閉じて表紙を見てみると「(祖母の名) 重要」の文字。うん。やはりそうだ。分かるようにして置いていたんだ。
いつ選んだのかは分からない。4年前の今頃、祖父が亡くなった時かもしれない。遺影選び、苦労したもんね。何でも前もって準備しておきたい人だから、そうかもしれない。
ただこれ、私が生まれた年の写真じゃないか。つまり50代後半。それからあなた、さらに少なくとも四半世紀くらいは生きているわけですよ。
私と母はこれを見て「厚かましかね〜〜!!!」なんて笑いながらも、そっと閉じて、賞状の横に片付けた。
自分の写真を見返すのが嫌いな祖母がこうしてメモをし、付箋まで付けてこっそり奥にしまっている。それが何だかかわいらしく、いじらしく思えたのだ。
認知症気味とはいえ、まだまだ元気。母が「私の方が先に死ぬかも」なんて言うほどに。だから50代後半の写真は採用しないかもしれないけれど、まあ一応、祖母の要望は受け取っておこう。
全て片付け終わると、お供えの果物やおやつを新しくした。帰り際には置かれていた小銭を、妹と「お駄賃ありがとう!」と都合良く解釈し、少々くすねた。ほら、私たちは彼らの前ではいつまでも子どもだから。
仏壇にはしまい込まれた家族の姿があった。それを引っ張り出して、くっきりさせて、またしまった。
もう会えない家族に会いに来るのは私たちだけではない。手前の座布団に座る人たちと、ちょっと綺麗になった姿でゆっくりお話ししてほしい。