ブログは一見さんでもわかるように書かないといけないから面倒

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テスト(Re:Shotenoteは「Twitterの気分... | Short Note
あと「同じ文字数ならTwitterに10連投するより、1400字のブログっぽい記事を書けばよいのでは?」というツッコミはしょっちゅう受けるのだけど、みんなにとって、140字×10回を書くのと、1400字×1回を書くのとは、同じ扱いなんだろうか? 私にとっては、かかる時間も、書く姿勢も、ずいぶん違うんだけど。「俳句を100句も1000句も読むくらいだったら、いっそ長編ノンフィクションを書いたら?」とは誰も言わないのになぁ。不思議。
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ちょうどokadaicさんの疑問が、自分が前回書こうと思ったものの、分量も多くなるし、やめるかーと思っていた話題だったので。
俳句を100句まとめても小説にならないけど、連投している人のTwitterの投稿をtogetterでまとめているのを見ると、別にブログにしても問題なさそうというのは多いとは思う。
書く姿勢が違うというのは、Twitterだとフォロワーという既に自分を知っている人に向けて書いているからで、だから書きやすいんじゃないかな。でも、ブログだと初めて読む人にも、なるべくわかりやすいように書くことになるので、こういう意図や背景の元で書いている、など、いろいろ説明を足す必要がある。どれだけ一見さんを意識するかという違いで、意識すればするほど、説明が増えていって書くのが大変になる。誤解を招かないための保険をかける。
※もちろん、アメブロなど、こんなことを気にしないでブログを書いている人たちもいる。ここではTwitterやFacebook、ブログなど各種ウェブサービスを使い分けていようなITリテラシーがある程度ある人たちを想定している
自分の場合、Twitterで連投した文章は大体ブログに回しても別によかったなと思うものが多い。これはTwitterでの投稿も、高度な文脈を持たせずに、一見さんでもわかりやすい投稿にすることが多いから。もちろん、文脈がわからないと理解できない投稿もするけど。
okadaicさんはブログになると、「ブログのための文章の体裁を整える」のに時間がかかるよ!Twitterと違うよ!と考えていると思うんだけど、長文だって、一見さんを相手にする親切なものじゃなくてもいいんじゃないかな。もちろん誤読が生まれる可能性は増えるけど…。
他のメディアで喩えると、Twitterはラジオ的でブログはテレビ的。ラジオはパーソナリティの人となりを知って聞いているから、文脈の説明を省略しやすい。長文をラジオ的に書くという場があっても面白いんじゃないだろうか。