うちの母はすごいんだ

母の話をしよう。
私の母は最高に最強でカッコ良い。
そんな母の話をするにあたって、まず私の反抗期の話をする。
自分で言うのもなんだが、私の反抗期は酷かった。
親戚中で初めての子供、しかも長女だった事もあり、とにかく両親は厳しかった。
勉強は幼稚園に入る前からやらされていたし、今だったら虐待と騒がれそうな程厳しく躾られていた。おかげで好き嫌いも無く、人の家に行っても恥をかくような事もないので、今となってはよかったと思う。
しかし厳しい躾には良い点も悪い点もある。「親や大人にさえ従ってれば良い」と思っていた幼少期からの反動もあったのだろう。子供の私は厳しい躾を「敵わないものにだけ従えばいい」とだけ認識した。そうして「やりたい事」と「従わなければいけない事」の差はどんどん開いていった。
それが弾けたのが中学二年生だ。
中学二年にもなればそれなりに身体もしっかりしている。力で敵わないにしても、何かを使えば抵抗できる。当時の私は「大人なんか大っ嫌い」と思っていて、中でも両親は特に嫌悪すべき存在であった。
皆さんは「積み木崩し」を知ってるだろうか。多分、ある程度大人なら知ってる人が多いと思う。私の反抗期当時を振り返った母は「ほぼあんな感じだった」と言っていた。2005年に安達祐実さん主演でドラマ化した際に見たが、確かにあそこまでは酷くないにしても近からず遠からずと言った感じではあった。
しかしそんな私でも、身近にいる大人で比較的素直に話を聞く存在がいた。
母の弟だ。
以下、叔父さんと呼ぶ。
叔父さんは昔暴走族の偉い人だったらしく、今でもその面影がなんとなく残っている。
はっきりした物言いや、繕わない言葉が、当時の私には他の大人とは違うように見えた。湘南純愛組やクローズを読んで、不良に憧れていたのも大きかったのだろう。
親が連れてくるカウンセラーなんかには反抗的な態度を取っていた私も、叔父さんにだけは素直に話し、懐いていた。
昔の不良らしく硬派で芯が通っている叔父さんとは、今でも大の仲良しだ。
話は戻って、反抗期真っ盛りの中学三年生の夏である。
叔父さんに「昔の仲間とみんなで海に行くんだけど、一緒に行くか?」と聞かれた。
昔の仲間って暴走族の時の!?と聞いたら、そうだよと言われ、私はミーハー心で承諾した。
叔父さん一家に連れられ、神奈川の海へ行く電車の中。私はとてもワクワクしていた。
きっとその人たちは私の気持ちを分かってくれる。他の大人たちとは違うんだ。
そんな風に考えていた。
その上、今日は海へ行ける。
反抗期を迎えてから家族旅行には行かなくなった。
かと言って友達と海に行くにしては、海は遠過ぎる。
そこは中学生の可愛らしさというか、県をまたぐ移動はまだ怖かったのだ。
そんな訳で久しぶりの海に、私の心はかなり高揚していた。
電車を乗り継ぎ、二時間経ち、やっと海についた。
「どれが叔父さんの友達?」と聞くと「視界に入ってるのほぼ全員だよ」と言われた。
浜辺の、視界に入ってるほぼ全員。
家族連れの団体が数組、男同士のグループも十数組。
ざっと見てもおそらく百人以上、二百人近くはいたと思う。中には背中に綺麗なお絵描きをしている方もいた。
想像していたよりも大人数な事と、普段なら絶対に触れない界隈の人々に、すっかり私は怖気付いた。
そうしてビビり散らしている私を余所に、従兄弟たちはぴゅーっと家族連れの方へ行ってしまう。毎年集まっているのだからこんな光景慣れっこなんだろう。
こんなんじゃナメられる、ビビってはいけない。
そう思いつつもあまりの人数に圧倒された私は、隅っこにちょこんと座ってジュースを飲んでいた。
その時だ。
「おー、この子がねぇちゃんの娘か」
と言って、一人のおじさんがのしのし歩いてきた。
父親の友人達とは雰囲気が何かが違う。当時の言葉で言うならオラオラ系の雰囲気をまとったおじさんは、隅っこで座り込んでいた私の横にどかっと座った。
そのおじさんが来た事をきっかけに、
「この子が言ってた子?」
「へぇ、ねぇちゃんに似てんなぁ」
「噂の非行少女か!」
なんて言いながら、沢山のおじさんが私のところへやってきた。私を取り囲むように集まってきたおじさんの中には、背中にお絵描きをしてる人もいた。もちろん偽物じゃない。だってこの人たちは、偽物を貼っていきがる必要なんかない。
当時の私は中学生だ。普通のサラリーマン家庭で育ってきた、ちょっと反抗的な程度の中学生だ。身近にいる悪い人なんかせいぜい原付を乗り回す高校生が最高値で、背中に絵が書いてある人なんか映画以外で見た事なんかない。そんなテレビの中の人達にぐわっと取り囲まれて、心臓はばくばくと音を立てた。
「学校行ってないんだってなぁ?なんで行かないんた?」
「俺らなんか来るなって言われても行ってたのにな!」
学校に行ってなかったのは単純に夜更かしして起きれなかったからだ。それに学校なんか行っても意味なんかない。学校に行って会いたいほどの友達もいない。
でも口を挟む間もなく、おじさん達は私を真ん中において、思い出話に花を咲かせる。
そうして昔話をする中で、おじさん達は突然母の話をしだした。
「ねぇちゃんは俺たちの憧れだったんだから迷惑かけんなよぉ?」
「おうおう、そうだそうだ」
「懐かしいなぁ、お前振られてたもんな」
「俺お前がお義兄さんになるとか嫌だよ」
こんなに怖い人達が、母親のような勉強ばかりしていたつまらない女に憧れていた?
どこが良かったのだ。
私の知っている母は、厳しくて、勉強しろとそればかりで、優しくない。母に褒められた記憶なんかない。
母はそれだけの人だ。
その母のどこが魅力的だったのだ。
「ねぇちゃんが勉強してるからって、静かにしてたもんな」
「それでもうるさいって怒られたりしたけど」
「だっせぇ赤い半纏着て、だっせぇ眼鏡かけてな」
「普通に俺たちに怒鳴ったりしてたもんな、ねぇちゃん」
「弟の友達っつっても、当時の俺たちって言ったら、なぁ?」
「すげぇ好きだったけど全然相手にしてもらえなかったもんなぁ」
「お前がねぇちゃんと付き合えるわけねぇだろ」
不良と言えば、派手な化粧をして派手な髪型をした女の人をバイクの後ろに乗せているイメージがあった。だって漫画ではそうだし。対してうちの母親は勉強ばかりしていたガリ勉で、こんな人達とは住む世界がまるで違うのに。
困惑する私を取り囲んだまま、おじさん達は昔話で盛り上がる。
「分かったか?学校ちゃんと行って、ねぇちゃんの言う事聞けよ?」
「あんまりねぇちゃん泣かせると、おじさん達が怒りに行くからな!」
そう言って、肩に手を回された。父親以外の大人の男の人の腕は太く逞しい。冗談だとは分かっていても、怖くて仕方がない。
その時は分かりましたと何度も言って、叔父さんが「あんまりうちの姪っ子いじめるなよ〜」と引っ張り出してくれるまでビビりちらしていた。
というか、その時のインパクトが強過ぎて他に何も覚えていないのが実際のところだ。
ただ遠くから叔父さんや、二百人弱のその集団を見て
「凄いところに来てしまった…」
と思っていたばかりであった。
ただその時しきりに言われた「ねぇちゃんを大事にしろ」と、どうやら母親がその周辺にマドンナ扱いされていたらしいという事だけはしっかり覚えていた。
その時は分からなかった母の魅力を知るのは随分後になってからだ。
以前父がメンタルを壊し、単身赴任先から帰ってきた時がある。結構参っていた父は母に「仕事辞めようかな」ともらしたそうだ。
その時母は
「別に子供も自立してるしあなた一人くらい養えるからやめたいならやめたら?」
と言った。
父はその言葉に勇気付けられたらしく、それからしばらくして単身赴任先に帰っていった。
そして今でも元気に働いている。
一応父は一家の大黒柱な訳で、いくら子供が自立してるとは言えあまり言えることではないと思う。
国家資格を持っているので確かに養えるんだろうけど、それでもサクッと言えてしまうのは凄い。
聞けば父とお見合いの時に
「結婚しても仕事はしますので、許可してくれる人以外と結婚する気はありません」
とはっきり言ったそうだ。
私が「専業主婦の方が良くない?なんで?」と聞いたら
「お母さんは欲しいものは買いたいし、その時にいちいちお父さんの顔色伺ったりしたくないからよ」
と言っていた。
しかしだからと言って母は散財する訳でもなく、服は未だに私たちのお古を着ている。
新しいものを買ったと思っても1000円以下の可愛いのを見つけてくる。
子供の頃の夏と冬の年二回の家族旅行も、母の給料から出ていたと聞いた。
新婚旅行で行ったハワイで「十年後は子供達を連れて来たいね」と両親で話していたらしいが、それを実現させたのも母の仕事と節約あってのものだ。
それと母は料理はあまり上手ではないし好きでもない。しかし子供の頃は出来合いのものを食べた事すら無かった。
自分が料理をするようになったからこそ思うが、麻婆豆腐も唐揚げも、素を使わないで作るのはすごく面倒だ。
料理は嫌い、子供は嫌い、なんて言いつつも、やらなきゃいけないことはしっかりやる。
あとうちの一番下の弟はゲイな訳だが、子供の頃からちょっとその疑惑があった。
しかしそれに対しても母は
「うちは男の子が二人いるからね。一人ゲイでも問題ない」
と笑い飛ばした。
私が好き勝手に生きていても「別に生きてるならそれでいい」と言ってくれる。
多分母は芯が強い人なんだと思う。
たまに強過ぎて「いやいやそれはやばいでしょ」という時もあるが、いつもはちゃめちゃに楽しそうにしているので「まぁいいか」と思ってしまうのだ。
背中にお絵描きしたおじさん達が言っていた。
「お母さんはカッコよかったんだよ」
確かに今ならそのカッコ良さが分かるかもしれない。