断絶

昼過ぎあたり、身体が恐ろしく怠くなって、自分のベッドに倒れ伏してそのまま寝た。
起きたら夜だった、なんてことはなく、普通に30分後くらいだった。随分長いこと寝ていた気がした。朝干した洗濯物を取り込んで畳みながら、つけっぱなしのテレビに映る高校球児を眺めていた。白球がバットに当たって快音を鳴らし、歓声に満ち溢れる甲子園球場の空を飛んでいく。ライトフライ。意外と地味だった。どっちも私とは完全に縁のない県の高校である。
日に焼けた肌が画面いっぱいに映る。力のこもった応援団と、保護者、そしておそらく部外者の観客。歓声の絶えることのないテレビ画面と、テレビを切ってしまったらたちまち無音が訪れるであろうリビングルーム。甲子園球場と自分のいる部屋が同じ国にある現実が、なんだか虚構にすら思えた。
学生の頃は野球部が嫌いだった。
声が大きくて、子供っぽいくせに偉そうで、運動部特有の悪ノリが強く、体育の授業や体育大会でムキになりがちで、当たり前のようにスポーツ万能で、そのくせ勉強が私より出来る。なによりも人生があまりにも楽しそうで、その輝きを暗がりでひっそりしている自分にも分けようとするその押し付けがましさが嫌いだった。全国の野球部所属の人間を全部とっ捕まえて誘拐して、ファンキーモンキーベイビーズが延々と掛かっている六畳間に、ナオトインティライミと二人きりの状態で3日ほど閉じ込めたいと思った。圧倒的な明るさの前で卑屈になってしまえばいい。
友達もろくにいない私は学年唯一の写真部員として、写真を撮ったり、後輩に嘗められたり、後輩に軽く見られたり、後輩のほうがずっと優秀だったりと、基本的に虐げられた部活動生活を送っていた。大体毎日死にたかった。体育の授業で騒ぐ野球部は怖いし気が合わないから苦痛だった。
ただ、昔から甲子園を見るのは結構好きだった。
私の母校はそこまで野球が強いところでもなかった。殆ど一回戦負けだった。そんな彼らでも体育の授業での存在はバランスブレイカーそのもので、競技によっては野球部の数が勝敗に密接に関係する。鍛え上げられた肉体と集中力、運動に対する意欲、高いテンションと常にオフェンシブな姿勢。体育の授業とか一年間ずっとストレッチとかになればいいと考えている自分とは正反対の生物。
甲子園はそんな彼らをも軽く凌駕する、言うなれば化け物ぞろいの魔窟。超人たちの闘技場。野球の知識が乏しい自分でも、なんかすごいことしてるのはわかる。毎年毎年現れる屈強な男たちが、自分と同じ年齢というのが信じられなかった。学生の自分の目に映る彼らは、20歳くらい鯖を読んでいるものだと勝手に思っていた。
その都道府県の代表という重たい期待を背負って、甲子園というフィールドで鎬を削り合う。
一回でも負けたらその時点で終わり。厳しい世界である。ぬるい環境に慣れっこの私は、この状況に突っ込まれるだけで心臓麻痺で即死すると思う。貧弱貧弱。高校球児ってすごいんだね、ってなんとなく思うけど、それくらいメンタルも根性も鍛え上げてないと、甲子園という舞台に立つのは無理なのかもしれない。スポーツを本気でやる人はまぶしい。
数年前の今日も、そして明日も、名も知らない高校球児が戦う。
私は今日もぼんやりとテレビを眺める。勝ったり負けたりを繰り返し、日に日に試合数が少なくなっていくことに少しだけ切なさを感じながら、時に真面目に、時に何かこなしながら、時にうたた寝をしながら、バックボーンも知らない球児をただぼんやりと眺める。エアコンの効いた室内で、灼熱の太陽に曝される化け物たちを、動物園のライオンでも眺めるかのように見る。試合を見ているというよりは、出来の良いドキュメンタリー映画でも見ているかのような、そんな心地を覚える。
勝ち負けにさして興味もなく、流れる涙に何か感じることもない。戦略も、戦術も、将来有望な選手への注目も、チームの思いも、監督やコーチ、球審や実況解説、野次を飛ばすジジイたち含める大人たちの熱意も、自分には何の関係もない。関係ないのに、ただ観ている。今日も試合が終わり、さして興味もない解説が流れ出したのを見計らって、テレビの電源を切った。セミの声が遠く聞こえる、夏の夕暮れの静寂が訪れた。世界から切り離された気がした。