男子禁制、性に関するノートである。... by まいこ | ShortNote

男子禁制、性に関するノートである。女性の下ネタ的な話なので、男性は見なかったことにしていただきたい。苦手な女性もそっと逃げてください。
とはいえ、わたしはこの手の話が大変苦手である。そもそも恋愛を軽蔑する青春を送ってきたがために、そういう話をすることもほとんどなかった。「まいこさんの前では、下ネタ厳禁!」と男女ともに言われるポジションだったし、それでよかった。社会人になってからの友人に、「彼がほんと下手で…どうしたらいいと思う?」とか言われると、「えっと、あの、その…」と狼狽えてしまう。(男性側からすると恐怖の話ですね。)そんなこと聞かれましてもー!と脳内は大混乱だが、なんとか素知らぬ顔をして回答してみる。
そんなわけだから、誰かに喋るのも憚られ、人知れずここに書き出すことにした。というのは、わたしは、「相手が行為を我慢してくれている」という状況に愛情を感じるのだが、これってもしかして、一般的ではないのだろうか、と最近思ったのである。いたしてしまうと、「結局理性が負ける、その程度の気持ちなんですね」という失望が生まれるのである。どうなの?みんなこんなこと思わないの!?と聞きたい。なぜこんなに捻くれてしまったのか。
そこにはわたしの葛藤がある。というのも、わたしこそ理性が負けるタイプの人間なんじゃないか、という疑惑があるからだ。性に奔放、とかそういうことは断じてない。真逆だ。だが、「これって、気持ちいいから付き合っているだけであって、相手のことはもはや全然好きではないというかむしろ嫌いかも」という経験がある。快楽で自分の感情を誤魔化していたのだ。だから相手から愛を言葉にされる度に、罪悪感があった。そして、「わたしがこうなのだから、相手も同じに違いない」すなわち、快楽があるから愛情があると勘違いしているだけなんじゃないのか、とずーっと思っているのである。継続中だ。
「愛があるからこそだよ」とかなんとか言われても、「いや、少なくともわたしにはない」と一瞬で論破できてしまうので全く説得力がない。だから、プラトニックな関係で一緒にいられるのがホンモノなんじゃないか、と思ってしまう。
あ、でもちょっと待てよ。そういえば、幸せだなあ、と思ったこともあったな。そうだ、好きな人とするってこんなに幸せなんだ!とその時思ったんだった。でも、その人との体の相性はけして良くはなかった。快楽と幸せの実感は別物、ということか。