三文オペラ初演(2018.1.23)観劇まとめ

※がっつりネタバレです!注意⚠️
神奈川芸術劇場KAATにて、谷賢一演出、ドレスコーズ志磨遼平音楽監督の三文オペラ初演を観劇してきました。


ツイッターのほうでは志磨さん関連のネタバレを中心に熱く語りましたが、そのほかの感じたことを雑にまとめていきます。重複する部分もありますがご了承ください。

 
S席とA席のほか、作中のピーチャム商会(乞食ビジネスをしている会社です)にちなんで、舞台脇で立ち見かつピーチャム商会の一員として舞台に参加できるP席という3種類の席があり、今回はP席の上手側で参加してきました。

P席は本当に舞台に近く、比喩でなく手を伸ばせば役者さんに触れてしまうくらいの距離です。

 
冒頭で「観劇してきました」と言いましたが、感覚としては「参加してきた」のほうが強いです。

まずP席は開演の1時間前に集合し、受付(=ピーチャム商会に入社)をして社員証をもらい、新入社員として演出の谷氏と先輩乞食たちによる熱血指導を受けます。
 

参加は全部で5か所です。

M-2のピーチャム商会社歌、キッカケでばらばらに振り向き客席をにらむアクション、歌に合わせてのクラップ&ストンプ、M-17で舞台上に上がり歌い踊りながら全員で行進、ラストでP席めがけてばらまかれる金色のテープを全力で拾う。

 
P席の魅力、と言いますか、この三文オペラにおいての存在意義は大きかったと思います。

まず、P席を立ち見にしたことであからさまに客席との差をつけたこと。なお、志磨氏によれば最初は「桟敷席」ならぬ「乞食席」という名前にしたかったそうですが、大人の事情でP席になったとのことでしたね。

谷氏の我々に向けた「共演者がやっとそろった」という言葉と熱い演劇指導により、舞台を観に来たというより、役者の一員であるかのような錯覚を起こさせたことも、S席A席とは違う心構えで舞台を見つめることに繋がりました。

なにしろ、アクションのキッカケを見逃してはいけないのです。台詞の意味や役者さんの演技に魅入っていては、舞台の一部として役立てない。たった30分の練習でしたが、P席の我々に責任感や連帯感を抱かせる効果は十分でした。
 

キッカケでばらばらに振り向き客席をにらむシーンで、ぱら、ぱらぱら、と振り返ってくるP席は客席からどう見えるのか気になりあとでS席にいた方にお尋ねしたところ、「怖かった」との感想を頂け、とても満足した自分がいました。

谷氏とほかのP席の仲間とともに狙った効果を上げることができた達成感がそこにありました。

席に入る前からすでに新入社員としての社訓を叩き込まれていたP席は、おそらく話が進むごとにどんどんと商会の一員としての自意識を強めていったに違いありません。少なくとも私はそうでした。

にらむシーンのところで抱いたのは、「いい席にお座りになって、そこから見下ろす景色はどんなもんだい?どんな気分で私たちを見下ろしているんだい?」といった卑屈な、奇妙な感情でした。その感情はまさに、「お説教はあと、まずは食い物だ!」と歌うメッキースやジェニーがお偉い方々に抱くものと相似していたことでしょう。

 
同じ環境で同じものを観ているはずなのに、(あえて失礼な言い回しをしますが)かたや座席に腰かけ見ているだけのS席A席と、3時間の間ほぼ立ちっぱなしでいなければならないP席。抱く感情や見る風景は全く異なっていたことと思います。

ピーチャム役の白井氏との対談で志磨氏が用いていた、離婚間際の夫婦のように演じるか、熟年でもラブラブな夫婦のように演じるかで同じセリフが全く違って聞こえ、「ガラスの仮面」で見たやつだと思った、という表現が的を射ているのですが、それと同じで、舞台をS席A席から観るか、P席から見るかでそれぞれ違った感想を抱くことになったと思います。
 
ちなみにこちらから見えるS席の人で、我々P席を見ている人はほぼいませんでした。もちろん舞台の本筋目当てで来ているわけですから当たり前のことなのですが、そのことすら、「お偉い方々の目に私たちは入りもしないんだねえ?」という皮肉めいた気持ちにつながりました。

 P席を設けたことで、観客の中に分断を起こした。これは凄まじいことだと感じました。

 
しかしP席で舞台に参加した感想は、「とにかく楽しい!」です。詳しくはありませんが演劇はもともと好きで、そのためもあったとは思いますが、舞台の一部になれたことはもちろん、底辺に生きる者としての意地を見せつけてやった!そして結末は大団円だ!どうだ!という誇らしい気持ちすら抱くことができました。

その分、舞台の話の筋を冷静に見つめ分析するようなことはできなかったと感じています。しかしそれも含めとにかく楽しく、また卑屈な思いを抱いた、否、抱かせられてしまったことに、やられた!と痛快な気持ちです。

この後にS席やA席から観劇したら、どんなにか面白いことでしょう。その機会を得ることができなかったのが悔やまれてなりません。
 

それでも舞台は見られるだけ見てきましたので、印象的なところを雑多に書いていきます。

まず、タイガー・ブラウンの描かれ方が面白いと感じました。最初に読んだ版では一人称が「俺」だったのが光文社版では「僕」と訳されており、メッキースだけに従順だが本来は豪放な虎のようなイメージで捉えるか、タイガーという名はそれと真逆な性質を持った彼にとってはもはや揶揄でしかないような人物と捉えるかで全く異なってくると思っていたのですが、今回は後者のイメージで描かれていたようでした。

普段は物腰柔らかで紳士然としているのに、ウィスキーを1杯飲み干した途端に飛び回り奇声を上げ大声で歌い出す、いかにも「扱いやすそうな」人物。

メッキースもいわゆる男臭い色香のあるような人物ではなく、配役からしても中性的な美しさを持った軽薄なところのある人物として描かれていたように思いますが、ブラウンがその美しさに友情を超えたなにかまで抱いているかのような演出もあり、メッキースが囚われの身となったとき、椅子にかけたまままんじりともせず今にも泣きだしそうな表情でいるブラウンは、うっすらとした共感と哀れをもよおさせるものでした。

結婚式場である厩から去るとき、ポリーに「奥様、お幸せに」と言ったブラウンの声と表情がどこか寂し気だったのは気のせいではないはずです。


そしてメッキ―スの仲間たちに、視覚障がいを持っていると思われる人物と、車いすの人物がいたのも印象的でした。原作にはそういった記述はなかったと記憶しているので、これは演出で加えられたものでしょう。一体どういった意味があるのでしょうか。

もともとの三文オペラが書かれた背景を、資本主義が崩壊した後の近未来に置き換えて演じられた今回の舞台ですが、少なくともブラウンとその部下のように(一応)まっとうな職に就いている人物の中にそういった障がいを持っているような人物はいませんでした。現代でも障がいを抱えた方の就労は問題となっていますが、結局未来でもそういった障がいを持つ者は乞食かゴロツキにでもなるしかないのだ、という痛烈な皮肉なのでしょうか。

 
演出で加えられたといえば、ソロモン・ソングの前にジェニーが自死するのもそのひとつだと思います。ジェニーについては、原作とだいぶイメージが異なっていたように感じました。原作では強かで、メッキースの所在を密告したことにもそれほど罪悪感はないように見えましたが、今回の舞台では娼婦とも思えないようなだぼついた野暮ったい服を着て、メッキースを密告するように迫るシーリアの話を聞いているのかいないのかも分からないような雰囲気での登場で、メッキースが自分のもとを去っていったことに深い悲しみと恨みを抱き、それと同じくらいメッキースへの未練を持っている、可愛さ余って憎さ百倍を地で行くような「病んでいる」女性として描かれていたように思います。

恨んでいるから密告し、せめてもの見返りと自身への言い訳に金を要求したがメッキースは他の女の手を借りて逃亡、ジェニーのところに身を寄せてくるが、嬉しさの反面で憎しみが顔を出し「この町で1番安い娼婦のところにでも行けばいい」と彼を追い出したジェニーは、シーリアの誘導尋問によりそのことを明かしてしまい、そのせいでメッキースは再び囚われの身となり明日には縛り首となる。憎んでもいるが愛してもいる人の命を自らが奪う結果になってしまったという罪の重さにおののき、自責の念と絶望に駆られて、メッキースが縛り首となる前に自死してしまうジェニーは、ポリーよりルーシーより深くメッキースを愛していたように感じました。娼婦たちの歌にもありましたが、「抱いてあげる ときにはママのように」という感情は、まだ若く幼いポリーやルーシーには抱きえないものだったでしょう。その証拠に、彼女らは意気投合しメッキースの処刑を2人仲良く楽し気に見守っています。そのときジェニーは1人悲し気に高所から見守っていて、彼女から目が離せませんでした。

その後、「違う!そうじゃない!」とメッキースが縛り首にならない結末をやり直すシーンで、ジェニーはどこにいたのでしょう。一緒に彼らと踊って歌って、KAATのアンケートで見たい出し物1位に輝いた「ミュージカル」を演じていたのでしょうか。P席の私からは、彼女の嬉しそうな姿を見ることはできませんでした。メッキースが救われたのなら、彼女も救われていてほしい。そう願うばかりです。S席A席の方、彼女の姿は見えましたか?教えていただきたいのです。かわいそうなジェニーがどうなったのかを。

 
そのほか、ツイッターではぼかしましたが小道具がとても作りこまれていました。

シーリアがジェニーに密告を迫るシーンで、ジェニーのために図解したと思われる紙には英語で“come”“you”“talk”“me”のような英単語と矢印、それに棒人間が書かれており、「メッキースが来たら、私に知らせるように」というような内容になっていました。

メッキースが囚われたとき、そのことに驚く人々が手にしていた新聞には「マックザナイフ逮捕」と書いてありましたし、ポリーの喪服にはP席参加者がもらえるピーチャム商会社員証の「ぴ」のマークが家紋のように入っていました。
 

P席というなかなか体験できない場所に興奮してしまい、舞台の隅々まで見ることはできませんでしたが、きっと私が見ていないところでも全員が全力で自分の役を生きていたのだと確信できる、そんな熱量のある舞台でした。

初演に、P席という舞台になくてはならない装置として参加できたことを大変嬉しく思うと同時に、やはり他の席からも観てみたい、何度でも観て、誰が何をしているのかを全部把握してみたいという欲求があとからあとから湧いてきます。S席の方の「あれを見たら行く公演を追加しちゃう」という感想を目にし、本当にその通りだと思いました。一度観たらきっと何度でも観たくなるし、きっと今度は違う場所からあの世界を見てみたいと思うに違いないのです。

とんでもないものに参加してしまいました。もう一度参加できることが楽しみで仕方ありません。こんな機会を与えてくださった志磨さんに感謝して筆を置くこととします。
2018.1.31の観劇まとめも書きました↓