松代大本営~地下壕

松代大本営。いやここに大本営が置かれたことはないから、「幻の…」という方が正確だろう。先の大戦末期、大日本帝国は本土決戦に備えて大本営の避難所となる地下壕を長野県の松代に造営した。天皇の避難所となる地下壕も近くに造営され、今は東大の地震研究施設になっている。私が訪れた時はまだ長野電鉄が信州中野から屋代まで通じており、JR篠ノ井線も走っていたので、電車で松代まで行けた。今は長野市街からバスで行くしかない。私は松代駅で自転車を借りて向かった。
地下壕は象山の下にあり、麓には佐久間象山を祀った象山神社もある。
人一人が通れるくらいの小さな入り口を入り、細いトンネルをしばらく行くと、電車が通れるほどの大きなトンネルが開けてきた。地下であることを思うとかなり巨大だ。岩盤をくり抜いたゴツゴツした岩肌をさわると冷たさを感じた。足下は整地されているとはいえ、石が露出したりして凸凹道になっていた。幸い観光用にライトアップされているので歩くのに不便はなかった。ただし柵の向こうに見えるトンネルは真っ暗だ。
総延長約10㎞のトンネルが縦横に張り巡らされた地下壕。象山の地下にあるのは、報道施設や諸官庁の収用を予定していたということで、規模もそれなりに大きかった。公開されているのはそのうち500㍍。昼夜交替の人海戦術の突貫工事で造られた。ここでトンネルを掘っていた人は何を思っていたのだろう。朝鮮半島から動員された人もいたという。
地下壕から出て、電車に乗って松代を後にするとき、象山の全景が見えた。まるで象が鼻を伸ばして座っている姿に似ていた。だから象山なのか?そう思いながら田畑と象山の長閑な風景を見ていると、ふと虚しさわを感じた。
この農村からも多くの人が戦地に赴き、帰らぬ人となったのだろう。もし、戦争に勝っていたら、この風景は何か変わったのだろうか。いや、おそらく何も変わらなかっただろう。勝っても、負けても。昔も今も変わらない風景と、時代に弄ばれた人の命。
虚しさだけが心に残った。