軽度買い物依存とのゆるやかな戦い

家計簿がつけられない。
月の途中まではつける。でも集計してしまうとだめだ。集計が一番大切なのはわかっているのだが。
私には、買い物依存症の気がある、気がする。
借金をして何かを買うことはないし、高価な(私は学生なので、ひとつで7000円を越える買い物は「高価」と思う)ものも滅多に買わない。だから『どんぴしゃ』の買い物依存症ではない。
ただ、自覚がある。
借金してまで買わないのは、欲しいものひとつひとつが「手の届く価格」のものばかりなのと、実家がそこそこに裕福なのでたくさん仕送りを貰っているからだ。
ファッションに興味が無くて、だからよくある買い物依存症のように、ブランド物を買ったりはしない。
しかし、2〜3000円の買い物が積み重なっていき、そこにたまに大きな買い物が入れば、すぐに予算をオーバーしてしまう。
なのに、多めの仕送りのおかげで生活できてしまっていることもあって、そのオーバーしている事実にも気がつけない。
細かいものをたくさん買うことでストレス解消になっている自覚も、ある。
家計簿をつけて、集計すると、そのオーバーした事実がまざまざと現れて、心がひどく不安定になる。目を背けたくなる。
お金を使って、スッキリしたくなる。
依存症の(といっても、私は軽度だし、依存症と言っていいのかもわからないが)原因には、『孤独感』が関わるそうだ。『こころの穴』を埋めるために、なにかを満たすために行為や物、関係性への依存がはじまるという。
思えば私は、友達がいなかった。たくさんの人の中にいたときに、私だけが馴染めているつもりで馴染めていない、表面上でしか加えられてもらえていないということが、多々あった(これは私にも問題があるので、相手を責めているわけではない)。
そういう経験から、人の輪の中に入るのは苦手だし、友人をつくるのは苦手だ。どの距離感が一番適切なのか、二十歳をこえてもわかっていない。
両親にこういう話をすると、特に精神的な病については「病院が金を取るために病名をつけているのだ」という論調で諭されてしまうので、相談ができない(病院嫌いの家庭なのだ、うちは)。
「自分を病気として認めることで、怠惰さなど変更不可能な資質の問題ではなく、解決可能な問題としてアプローチできるようになる」
「誰かに手を差し伸べてもらえるようになる」
──これが、精神的な病を診断される価値なのだろうと、思う。
今月はいろいろ、「これを買ったらもっと豊かな生活になるかな」というものを揃えたから、オーバーしてしまっているのだろう、と思う。残っていたお買い物券での買い物も、計算に含めていたし。
まめに記録することで、多少の抑制はできている気がするので、あまり気にせず今はレコーディングだけを目標にしたい。
そのうちまとまった額の貯金ができたら、ゲーミング用のデスクトップPCが欲しいな……。