19.06.13

 午前中しか勤めておらず、与えられる仕事も殆ど外部との交流が無いものだが、それでもオフィスに来ているのだから、顔を見知った同僚にはよく遭遇する。廊下ですれ違う時など、私から彼らに会釈や挨拶をすると、彼らは目が合った一瞬では私だと認識することが出来ず、気まずいような会釈を返してきて、改めて顔を見て驚き、どうしていたのか、元気にしているのか、とおそらく鬱病罹患者にかけてはいけないだろう言葉を平気で口にする。思っていたよりも冷たくあしらわれることはなかった。大変だったな、であるとか、お前は悪くないよであるとか、元気になってよかったとか。何しに戻ってきたとか、全く相手にしてもらえないとか、そういうことも考えていたので、それよりも状況はずっとよかった。実際、冷たくなったというか、余り相手をして貰えなくなったように思える人もいるが、全員に全く同じ対応や祝福を求めるのは、流石に無理筋だろう。まだ経営計画のメンバーには殆ど会っていない。一人見かけたけれど、それは私から逃げた。私は彼らを嫌っているから。けれど、他の人から受ける印象的に、もしかしたら彼らもやさしくしてくれるかもしれない。仕事が関係なくなれば、彼らとも仲良く出来るのかもしれない。全て、仕事が悪い。

 昨日からの続き。ツイッターに流れてきた出版社の求人へ向けて、私は急いで職務経歴書や履歴書の準備を始めた。そのタイミングまで、私はベースさえ作成していなかったのだ。つくづく対応が遅いので、駄目だ。希望職種と関係のない私の経歴から無理に道を創り、いかに私が役に立つか、心にもない言葉を重ねた。職務経歴書において、私は異動をした後に休職をすることなく、当初期待されていた通りの活躍を果たしていて、自分がいかに部署にとって有益で素晴らしい結果を残したか、今後もやっていくのかを記述した。つまりは嘘だった。履歴書の記述にも困難があった。趣味の欄には「読書と音楽鑑賞」とこの職種に応募するやつには最低限度だと思われることしか書けず、特技に至っては何も思いつかなかったので、中学でやっていたサッカーと書いた。

 何とか仕上げたその書類は虚構色が強すぎて、就職活動にありがちなこととして、全く私のことを表しているように思えなかった。実際、表していなかったが、名前は私の名前が書かれていたし、私の写真も貼付してあったので、恐らく私のことを意味していると一式を読んで貰えれば、誤解してくれるだろうと思った。

 作成後、土曜日を待ちわざわざ都会の郵便局まで行って簡易書留で送付した。平日に送ると、働いているのにこいつは平日に送ってくるっておかしくないか、と思われそうだと勝手な思い込みがあった。そんなことを気にするくらいならば、資料の虚飾を幾分でも減らすことに気を回せばよかったものを。

 数日後、追跡番号で検索をかけると、確かに届いていたので安心した。しかし、簡易書留はその場所へ到着を示すだけで、実際に読まれたのかは定かではない。面接へ進める人には、決まった期日までに連絡があるとされていて、私は数日間、連絡を取り逃さないようにスマホを手元に置き続けたが、いつまでも連絡は来なかった。

 細かい話は明日以降に続ける。