クリムト

 「クリムト展は見とけ。あれはすごい」と教授が言った。それ以来ずっと心の片隅にモヤモヤクリムトが棲み付いていた。それからクリムト展が無料になるという情報をツイッターで目にしたのが3週間ほど前で、まあ、無料期間中には行くか、などと思っていたのが2週間前のことである。バイト中にふと、そのことを思い出した。今日は6月14日。クリムト展無料期間の最終日である。私はやはり、なんでも後回しのカス人間なのだと実感した。その性質を直そう直そうと考えているだけに一層悔しい。今日見に行くかどうか。別にクリムト展が終わるわけじゃないという意見と、1600円浮かせばピザが食べられるという意見が脳内で衝突する。

「クリムト展に行ってどうするんですか!お答えください!ピザ総理!」

「えー、ピザというのはですね」

「違うでしょう総理!ピザの具は何が一番かと聞いているんです!はっきりお答えください!」

「えー、サラミです」

結局、今回ばかりは私自身に対する憤りが大きく、全会一致でピザを食べるということに決まった。私が動くときというのは大概、恨めしいときやひどい憤りを感じているときだけである。バイトが終わってすぐに果南ちゃんにその旨を連絡する。最終入館時間は19時30分。今は18時15分。急げば上野まで50分で行ける。急いで店を後にし、電車に乗り込んだ。

 

 

 電車は空いていた。埃が溜まっているのか、車内の空調がカタカタとうるさい。2回電車を乗り継ぎ、上野駅へ向かう。私は電車に乗っている女子中高生を見かけるたびに、何が悲しくてこんな街のこんなところで電車に乗らなくちゃいけないんだと思う。これは札幌にいたときは感じたことのない感覚だった。小さいときから東京で暮らす子供はどこか可哀想な気がしてならない。上野駅で降りる。どこか、ここが東京ではないような気がした。そこにいる人間、そこに生えている木や、道路の舗装、建物の作り。全てが少しずつ東京とは違って見える。むしろ、東京を雑多に詰め込むと、こういった雰囲気が作り上げられるのかもしれない。だが東京とは違い、時間が緩やかに流れるのを感じた。時間は19時だが、上野公園にはまだ人が多い。公園内を道なりに進むと、右手に上野動物園と書いてあるのが見えた。その辺りに出店が並んでいて、タピオカドリンクやポテトなどを持って歩いてくる大学生かそこらの女の子がこちらに向かって歩いてきている。その辺りに生えている木の下では、若いカップルや制服を着た学生が座り込んで話している。二人だけの世界で、私などのことは視界にも入らないようだ。このまま道なりに進むと、一番奥に東京都美術館がある。公園の奥から歩いてくる人々はみな、手に袋を提げていて、いかにも美術館に行きそうな雰囲気を纏っている。自分と同じ方向に歩いていく人々も、美術館に向かっているのだと思う。私は、美術館なんか行くような高尚な人間は俺くらいだろ!と思っていたため、どこか申し訳ない気持ちになった。私にはそういうところがある。人々が黙っていれば騒ぐし、人々が騒いでいれば黙るのである。完全な天邪鬼だ。途中で、いろんな方向に矢印をつけすぎて、イカのようになった案内看板があり、東京都美術館と書いてある方向を確認する。あまりにも親切すぎて、かえって分かりにくくなっており、東京都美術館の文字を探すのに少し時間がかかった。引っこ抜いてみると、地面に埋まっている部分に、

「南米」などと書いてあるかもしれない。作り手の親切心を込めて作られたアート作品なのかもしれない。もしそうだったらこれ以上の作品はない。美術館に向かう足取りで、そういった想像が膨らむ。美術館というのは、低俗な人間をも、高尚な人間に化けさせる。看板の示す方向に足を進める。周りにいた人々も、美術館のオーラに足がすくんだのか、だんだんと減っていく。ついには私一人が美術館の正門に立っていた。美術館から、おそらくクリムト展を見終えたであろう人々が出てくる。彼らの一人一人から目が離せない。私は不安に似た不快感を覚えた。出てくる人々のそれぞれに、意志を感じる。自分がどんどん小さくなっていくような錯覚に陥った。日本大学芸術学部の最寄り、江古田駅で電車から降りたときの息が詰まる感覚を感覚を何倍にもしたようなものを感じる。出てくる人々に意志の個性を感じた。それが、もともと美術館に行くような人間が持ち合わせているものなのか、クリムト展を見た人間にクリムトが降りてきているからなのかは、そのときはわからなかった。少しばかり気圧されたまま、正門に入り、美術館の入口をくぐる。大学生や高校生が多い。やはり無料期間最終日になるまで先延ばしにしていたバカばかりなのだろうと思う。私は自分のことを棚に上げて、バーカ!と心の中で叫んだ。赤い服を着た女性が、係員に何かを聞いている。私は聞き耳を立てた。

「学生なんですけど、どうすればいいですか?」

「学生証はありますか?」

「はい」

「ではあちらの特別展入場ゲートに直接ー」

しめた。私は歩き出した。他人のおこぼれはありがたくいただこう。少なくとも、赤い服のチャンネーよりは先に入場する!入場ゲートに急ぐと、残り45分程度で閉館だというのにかなりの行列ができていた。私が渋々列に並ぶと、私の後ろに高校生3人組が並んだ。そのうちの一人が言う。

「やべえ!学生証忘れた。」

そんなことを私の後ろで言わないでほしい。私は物を忘れただとか、そういうのに弱い。想像しただけでも吐きそうだ。自分はもちろん焦って汗がダラダラ吹き出てくるし、周りもどうして良いか気を遣う。できるだけ忘れ物はやめようね。しかし、高校生ながらにクリムトに目をつけるとは、君もなかなか高尚だねえ、と思う。私が高校生の時は、美術館に行こうなどとは思ったこともなかった。実を言うと、私が進んで美術館に赴いたのは、小学生の頃にジブリ展に行った以来で、人生2回目のことである。しかし、2度目を前にした私は、妙に落ち着き払っていて、普段から美術館に行くような高尚まがい人間の雰囲気を醸しているのである。つくづく、人間味も何もない、つまらない人間になってしまったものだと思う。そもそも、今までの私であれば、行こう行こうとは思っているが結局行かず、それをどうにかして自分の中で肯定するための言い訳を考えていたはずである。そちらの方がよっぽど人間的ではないかと思う。芸術とは何か。とか、高尚な人間になるためにはどうすれば良いか。そういったことを考えるのは、結局近道や楽な道を探しているにすぎないのだ。現在の私は、ただ楽しさで動いていたあの頃の私には遠く及ばないのだと実感する。ほぼ垂直に変化していた私の進化は、いつの間にか死んでしまったのである。残ったのはいらないプライドだけで、私の蓄えた知識はいつの間にか日々を上手くこなすためのただの知恵になってしまっている。なんだか帰りたくなってきた。しかし、入場口は目の前まで迫ってきている。いっそのこと、「学生証だけじゃ入れませーん。クリムトなめんな」などと言って私を追い出して欲しかった。近頃の私は、いかに欲求を全面に押し出すかと言うところに腐心している。つもりでいる。今ここでヤバイやつゲージを解放して、叫びながら走って帰ってみるということを想像するが、理性が邪魔をして行動にはならない。そういうところも含め、つくづくつまらない人間だと思う。夜中に家の周りを大声で叫びながら走り回って、たったそれだけのことで、自分がヤバイ奴になれたような気がして満足しているのである。結局、私は流れに逆らえないまま、入場ゲートをくぐった。展示室に入っても、ここで大声で叫んで走り回ろうなどと、行動に移りもしないつまらないことを意気込んで、理性に邪魔をされたなどと言い訳を繰り返す。それを繰り返すうちに、その場に座り込みたいような気持ちになるのだが、それすらも理性に阻まれた気になって実行に移せない。私にできるその場への唯一の抵抗は、足を止めてそこにただ佇むということだけである。しかしその目や振る舞いはその場に合わせてもじもじと鑑賞者のふりをするのである。私は私に呆れ果てた。クリムトが、そのスタイルを確立し始めたのは、30代になってからだということが目の前の説明に書いてある。私は、何歳になっても成功するまで頑張るぞ!などと漠然とした覚悟を述べるのだが、それも大学を卒業する頃には理性もどきによって阻まれたふりをして諦めるのであろう。係員が私に、

「お客様、おカバンはお客様の前にお持ちください」

と言う。私は、はい。などと言って素直にリュックサックを自分の前側に持ってきて、人々の流れに飲まれた。私はクリムト展においての私を諦めたのである。




 展示室序盤は、クリムトと家族の写真や、クリムトが学生時代に書いた人体デッサンなどが展示されている。ここで立ち止まるような人間は、よっぽど研究熱心か、わかったふりをした愚者であるが、大半が後者であるように見えた。私はここを足早に通り過ぎた。普段の私ならば立ち止まって愚者になっていたところを、今思えば、私なりの瑣末な抵抗だったのかもしれない。そもそも、人々を大きく2つに分類しようなどという考えがナンセンスであるということに、私の脳は気づかない。立ち止まった人々はみな、自分の素直な欲求に従っており、人間的で美しい。私が愚者だと考える人々さえもまた、自分をそういった人間に見せたいと言う欲求に従っており、また美しい。その場で美しくないのは私だけであったように感じる。順路に従い上の階へ上がる。ここでクリムトの傑作「ユディトⅠ」が展示されている。私もこれには目を奪われた。

美しく通った鼻筋。裸の上に纏った衣から覗く乳房。半開きで一点のの光をたたえた目。恍惚とした表情。全てが官能的である。私はユディトと目が合った。クリムト展の目玉というだけあって、大勢の人々に囲まれている中、ユディトから見てかなり左側に立っていた私を、彼女は見た。

私ははっとした。ユディトの内側からクリムトが私を見たのである。自分の意思にのみ従うべきだとクリムトは言った。私は、何も言わなかった。自分に向けられたものだとは信じようとしなかった。私以外の誰かに向けられた言葉を、勝手に私に言われたように思ってはいけないと理性もどきが言った。私は足早にその場を立ち去った。クリムトから逃げるように、展示されている絵を数枚通り過ぎたあたりで、ユディトのときよりも大きな人だかりがあった。人々は、絵ではなく小さなディスプレイを見つめている。ディスプレイの先を見てみると、展示室が大きく開けていた。私はディスプレイを見る前にそのホールを覗いてみた。私は度肝を抜かれた。圧巻であった。クリムトの傑作壁画、「ベートーヴェン・フリーズ」である。向かって左の壁から奥へ、奥の壁から右の壁へと絵のストーリーが遷移する。クリムトが私に追いつき、また、自分の意志にのみ従うべきだと言った。私の体はすでにディスプレイの方へ引き返していた。もっと知りたい。頭の中にあるのはそれだけだった。クリムトが私をバカにして笑っているが、悪い気はしなかった。




 私が正気に戻った頃になって、見なかった絵画があるということが不安でたまらなくなってきた。しかし場内は一方通行である。私はまた諦める選択をした。私はかなりの早足で展示室を回ったため、入場時に周りにいた人々は誰もいないところまで来てしまっていた。彼らは私が見ていないものを見ている。不安を拭うために足を進める。展示は、すでに最終段階、往年のクリムトが描き上げた傑作ばかりが並ぶようになった。私はそこまでの分を取り返そうと、血眼になって展示品を観察した。絵画は残り10枚といったところだろうか。そのあたりの作品は、非常に薄く描かれたものが多く、誰もが近くまで顔を寄せて作品を見る。私もそうした。すると、金属製の安そうな杖をつき、タンクトップを着た中年の男が、私の横に割り込んできて、大きな声で言った。

「黒チョークぅ!?」

私は何のことかわからなかった。男はまた右の絵にも顔を引き寄せ、今度は、

「赤鉛筆ぅ!?薄くて見えねえよ!」

と言った。私はその時気付いた。絵の説明の上に、どんな紙に、どんな素材で描かれているかが書いてあるのだ。男はそこを見ていた。私は絵ばかり観察しようとしていたもので、そこに気がつかなかった。一本取られた。さらに、その男は自分の欲求に従っているだけという、私が目指していた姿そのものであることに気づいた。この男はクリムトが私によこした使いなのだ。男は否定的な態度を取りながらも、絵の説明を丁寧に読み、絵そのものをじっくりと観察した。私も男に並んで絵を観察した。そこは二人だけの世界だった。絵画は残り少ない。あと数枚でクリムト展は終わる。私と男はクリムトを見た。男はクリムトを知っていたが、私はクリムトを知らなかった。男は私にクリムトを教えた。クリムトが私にクリムトを教えた。全ての絵を見終えたとき、もう一度「ユディトⅠ」が見たい。と思った。しかし、目の前の男が私を掴んで離さなかった。男はクリムトだったので、離れる必要がなかった。ユディトはクリムトだった。クリムトは目の前の男だった。

 




 順路を進むと、クリムト展のショップがあり、人でごった返していた。私は1枚600円の「ユディトⅠ」を手に取り、果南ちゃんへのお土産にした。1000円以下のシンプルなピザしか買えなくなったがそれでもよかった。「ユディトⅠ」そのものは、ユディトがホロフェルネスの首を右手に下げ、こちらを見ているという絵なのだが、私はこれが良かった。レジの行列に私も並ぶ。レジは8つあり、それぞれに番号の書いてある看板が立っている。1から7は普通の字体だったのだが、8だけは2つの円を棒で繋いである、まるで鉄アレイのような形の8だった。私はそれがクリムトだと思った。できれば8番のレジに案内されたいと思った。しかし私が案内されたのは7番のレジだった。まあ、そういうものか。と思って顔を上げると、目の前にユディトがいた。レジの後ろの壁には、B2サイズのクリムト絵画ポスターのサンプルが貼り付けられている。7番レジの正面には、ユディトがいた。結局のところ、クリムトは、7番と8番レジだった。すでに不安は消えていた。ショップを出た時は、すでにもうすぐ閉館という時間だった。私の前を、見た目はチャラチャラしたお兄さんが、彼女を乗せた車椅子を押して歩いていた。二人に憂いは全く見えなかった。私は続いて出口から出て、美術館を後にした。足取りが軽い。上野動物園のあたりの木の下には、まだ、学生や若いカップルがいる。彼らは歩く私を一瞥した。