受験の思い出

今から数十年前の今日、大学の合格発表日だった。
私は本命1校受験、運命が決まる日だった。
長い時間がたっても、いまでもあの気持ちは覚えている。
学部で200人、学科で45人、人数も多くないためか、
手書きで受験番号と名前が書かれたA4ぐらいの紙が掲示板に張り出された。
イメージしていた合格発表とは違っていた。
あるか、ないか、は一目でわかる。
あ、あった!!
名前を見つけた時、嬉しさよりもほっとした気持ちが大きかった。
今では笑い話となっている我家の伝説の受験は兄の高校受験である。
そこそこ勉強が出来た兄は、受験校決定まで順調だった。 
昭和一ケタ生まれ、昔気質の父は滑り止め受験を許さなかった。
「行きたいと思っていない学校を受験することは、その学校に失礼だ」
私立は実力よりも少し高い学校、実力相当の学校にし、
内申で半分決まる公立はどこでも大丈夫と言われていた。
言われていたはずなのだが、
いざ蓋を開けてみると…、これがことごとく不合格。
公立は補欠だったが、この年は辞退者が少なく、滑りこめなかった。
「全然心配していなかったのですが…」先生も吃驚。
兄は進路が無くなってしまったのである。
「浪人して再チャレンジだ。行きたい学校に行かないでどうする」またまた父。
「失礼ですがお父様は何時代生まれの方ですか。今どき高校浪人はいませんよ」
先生に言われたそうである。
それから、ほぼ毎日のように母は学校に呼び出された。
卒業式の時も、進路が決まっていなかった。
ある私立の3次募集を学校が見つけてくれて、受験。
一般入試時には考えもしなかった学校。
「この成績でうちの学校は勿体無いですね」ありがたい言葉をもらいながら、合格。
兄の人生史上初の合格である。
「おかあさん、合格するって嬉しいね」兄が母に言った言葉。
「可哀想になっちゃったわ」と母。
当時の話を父にふると、苦笑いをしながらも、
「ちゃんと実力を出せれば問題なかった」最後まで言っていた。
私の高校受験時には、
「フローレンには滑り止め受けさせますからね」
母が父に言った。
実力よりも上の学校に合格できた。
行かれる学校があると、気持ちに余裕も出来るようだ。
一般入試の前に、推薦枠での応募を学校が勧めてきた時、
「表門から堂々とノックして入りなさい」
そこは相変わらずの父だった。
懐かしい思い出。