半ドン!

 私が小学生の頃は土曜日に半日だけ授業があった。
午前中の授業が終わると、校庭に集合させられる。
校長先生の長い話を聞きながら、これが終わったら帰れるという事にワクワクしていた。
帰り道は集団下校だった。
家に帰ると母がお昼ご飯を作って待っている。
たいていは焼き飯かチキンライスだった。
私はどちらかと言えばチキンライス派だったが、焼き飯も喜んで食べた。
食事の時いつも見ていたのはナマナマ55分というローカル情報バラエティ。
アナウンサーがロケに行ったり、スタジオにゲストを招いて話を聞くという番組で母が好きだったので毎週見ていた。
司会者の軽妙なトークが昼から自由だという気持ちを盛り上げてくれた。
ご飯を食べたら急いで友達の家に行く準備をする。
ヘルメットを被り、自転車に乗り込む。
私の小学校では三年生までは自転車禁止だった。
四年生になったら学校で講習を受けて、それから晴れて自転車デビューが出来た。
私は貯めていたお年玉で自転車を買った、当時の自転車は高価で足りない分は爺さんが出してくれた。
念願の愛車は六段変速のスポーツ自転車、私たちはギア段と呼んでいた。
あの頃はみんながギア段に乗っていた。
自転車に乗れるようになると行動範囲が一気に広がった。
上級生たちと一緒に遠くまで出かけるようになった。
まあ、田舎なのでゲームセンターやデパートといった娯楽施設は無く、行くのはもっぱら海とか山といったところだった。
リーダーだった六年生の泉君が冒険好きで、色々な事をやった。
海では五月から泳いでいた、遠浅の波の穏やかな瀬戸内の海だったのでよっぽど遠くまで泳がない限り溺れることは無かった。
私は泳ぎが苦手だったので、みんなについていけず砂浜で砂の城を作ったりしていた。
パンツ一丁で過ごす五月の海はさすがにまだ肌寒かったことを覚えている。
シーズンオフなので辺りに人影はなかった。
次の土曜日になると山に行った。
登山口まで自転車をこいでいく。
それから山登りだ。
しかも整備された登山道ではなくあえてけもの道を進む。
泉君を先頭にどう考えても道じゃない斜面をグイグイと登っていく。
角度がだんだん急になり、後ろを振り返ると急斜面になっている。
足を滑らせてしまったら、崖まで転がり落ちるだろう。
そんな嫌な想像をしつつ、私は必死で斜面にしがみつき一歩一歩前に進んだ。
もう後戻りはできない。
泉君がもう少しで頂上だ、と言う。
私はその言葉を聞く余裕がない。
しばらくすると着いたぞーと声がする。
声がする方に慎重に足を運ぶと急に視界が開けた。
どうやら頂上に着いたらしい、そう思った私は心底ホッとした。
命からがら登ったが、標高は三百メートルしかなかった。
帰り道もあえて登山道ではなくけもの道を歩いた。
私は再び過剰なスリルを味わった。
どうにか下山した時にはあちこち擦り傷だらけだった。
よく遭難しなかったものである。
泉君の発案はいつも冒険じみており、ついていくのが大変だった。
ちなみに海も山も保護者同伴じゃないと行ってはいけなかった。
私たちは暗黙の了解で親には絶対に言わないと誓い合っていた。
ルールを破っているという背徳感と、それに比例して仲間との深まる友情が嬉しかった。
子どもには子どもだけの社会がある。
日曜日は家族で出掛ける友達が多かったので、昼から遊べた土曜日は貴重だった。
大抵は自転車で遠くまで出かけていた。
今では土日休みが当たり前になってしまったが、あの昼から休みだという解放感を知らない世代にこの話をするといまいちピンとこないようである。
あれはあれで楽しかったなぁ。