嬉しさの経験値

帰る道すがら今日はケーキでも買おうと思いたち、よく行くケーキ屋に向かう道中、同じケーキ屋に向かうであろうはしゃぐ小学校低学年くらいの少年と父母が目の前を川の字で歩いていた。
私は歩くのがゆっくりで、なおかつ道が狭い土地柄なので、その家族の後ろを歩くかたちになってしまった。
少年はケーキ屋に行ってケーキを買うことにとてもはしゃいでいた様子であった。
父親はスマホをいじりながら歩いていて、母親はハイハイと少年をなだめて歩いていた。
ケーキ屋に行けることにはしゃぐ少年を見ると、私も子どもの頃は親が「ケーキを買いに行こう」と言っただけで嬉しくて、まるでテーマパークにでも誘われたようなテンションだったなぁとしみじみと思い返した。
年をとった今は、家族とケーキを買いに行っても、子どもの頃のようなテーマパークに向かうような気持ちはなくなってしまったなぁと思った。
子どもの頃はちょっとしたことでも嬉しいとはしゃげた気がすると思う。
綺麗な石を見つけただけで嬉しかったし、キラキラと輝く一番星を見つけただけで嬉しかった。
大人になると嬉しいという感情が鈍くなるものなのかな?とも思ったが、もしかしたら、嬉しく感じる体験をいつの間にかどんどんしていて、そうすることによって、嬉しかった経験値がどんどんたまってきていて、嬉しいと感じるハードルがどんどん上がってきているのかもしれないと思った。
私が気づかぬところで、もっと大きな嬉しい体験がしたいと心の欲が深くなっているのかもしれない。
それはいけない、もっと柔軟に小さなことにも嬉しさを感じられるようになろうと思った。
小さな嬉しさを見つけられた方が、小さな幸せも一緒に増える気がするからだ。
嬉しさと幸せはイコールすることが多い気がする。
小さな嬉しさを積み上げて、小さな幸せも積み上げて、嬉しさと幸せを感じて生きて行きたい。