渇きをあめく

本を読みたい。
最近なんだか、忙しい。読書の時間を確保できない。辛い。
わたしにとっては読書という行為そのものが、自分を落ち着かせてくれるものだ。本の内容以前に、文字を目で追ったりページを繰る感覚そのものが、わたしをリラックスさせてくれる。
大学で英米文学を履修している。わたしの専門は英語なので、文法や構文、語彙の知識を基に、著名な英米文学の原文を読み、翻訳をしていくというものだ。
最初は楽しいと思った。どんなかたちであれ、文学の世界に浸れるのはとても心地よかった。
しかし。実はこの英米文学という授業は、わたしの通う大学の教員免許取得カリキュラムに組み込まれたもののうちのひとつだったのだ。
大抵、教職課程の授業は午後のコマに組み込まれる。だから、まさか2限目にそれがあるなんて、想像もしなかった。もっときちんと確認していれば……。
教師になりたいなんて、これっぽっちも思ったことがない人間にとっては、なかなかに苦痛な内容になってきた。
というのも、教授の話のいたるところで、“どんな風に学生にこの一文を教えるか”
“どんな結論に学生を導いていくのが適切か”
“ある結論に学生を導くために、どのように授業を展開するか”
というようなことを述べているからである。
ひとにものを教える立場になる以上は、被学習者にある程度の指針を示さなければならないのはわかる。しかし、文学の解釈ほど、それをやられて違和感があるものはない気がする。
なんだか、違う。人はしばしば、レールの上を走らされることに嫌悪感をおぼえるのに、結局は当の本人も、レールを敷く側になってしまうらしい。
わたしは大学で英米文学を履修している。
でも、そこで文学を味わえる、なんてことはなかった。
そんなにいうなら文学部に進めばよかったじゃないか。本当にそうだ。なんでこんな選択をしてしまったんだろう。
はやく、時間を作って読書をしたい。
なんだかなぁ。