リビング勉強の功

勉強について考えるとき、まず弟を思い出す。
以下に書いたので割愛するが、弟はとにかく単純なやつである。
学校嫌いで早々に勉学からリタイアしたわたしと違い、弟は普通の公立高校から、塾・予備校などは一切行かずに京大に進学した。勉強ばかりしていた印象はなく、部活にも入っていたし、高3の文化祭でも演劇をやると言って楽しそうだった。大学でもやりたいことを見つけて希望の仕事に就いた弟は、わたしにはちょっと眩しい。
思うに、末っ子で要領がいいという定型の他に、弟はわりと勉強が好きだった。それはなんでかというと、勉強が両親とのコミュニケーションツールの一つだったからだと思う。
弟は小学校からリビング勉強派で、わからない問題があると両親に聞く。小学校ならまだしも、高校生になっても聞く。弟の中では、なぜか数学は母親の担当だったようだ。しかし、そんなもの現役を退いてウン十年の主婦にわかるわけはない。別に学校の先生だったとかそういうポテンシャルは一切ないし、そもそも母は文系である。にも関わらず弟は、
「お母さん、これ解説読んでわかったら、俺にわかりやすく教えて。よろしく。」
とか言うのである。参考書を渡して、あー疲れた、とお菓子を探してパソコンを開いたりする。どうだろうか、このワガママな末っ子っぷり。そして子どもに甘い母親は必死に参考書を読んで、時には知人の手を借りて、あーでもないこーでもないと3日間くらいかけ、
「わかった!」
と誇らしげに言うのである。これと同様に、歴史や経済を聞かれると放置できないのが父親である。
「なんだ、お父さん知らないの?じゃあ明日先生に聞くからいいよ。」
などと弟が上手いこと挑発する。するとまんまと、
「ちょ、ちょっと待ちなさい。」
となるのである。弟が「いや、もういいって。」と返しても「お父さんが気になるから調べるんだ!」と譲らない。そして、後ほど平静を装って解答が披露される。
父親はもともと「いい大学、いい会社」がヨシとよされた世代で、何かを質問されるのも調べるのも大好きだ。母親は母親で、どうやら趣味の農作業仲間と「子どもの宿題による頭の体操」で楽しんでいたもよう。以前その趣味にお邪魔したら、青空の下別のお子さんの高校受験問題にみんなで頭をひねっていた。
そんなわけで、弟が京大に受かって一人暮らしになったとき、両親が受けた精神的というか刺激減少のダメージは大きく、わたしはこのままボケるんじゃないかと焦った。勉強以外でも、長女が人生に一度は言うであろう「もうそんなの自分でやらせなよ!」を連発させるような過保護っぷりだったので、まるで抜け殻のようになっていた。
院試を受けるために弟が戻ったとき、実家は再び活気付いた。「どんな課題の論文なのか」と両親は興味深々で、かつとても嬉しそうだった。「もう、うっさいなあ」と言う弟もなんだかんだ話をする。これも一種の親孝行なのか。
でもいつか子どもができたら、いっしょに机に向かえたらとても素敵だなあと思う。別に子どもの世話を焼くんじゃなくて、話をしながら、自分は自分の勉強をする、そんな時間があったらいいじゃないか。でも実際は忙しくて難しいんだろうなあ。