据え膳食わぬは男の【意地】

ド貧乏だった19歳の頃、6歳年上の女性と仲良くなった。
ハーフっぽくって『フィフス・エレメント』の頃のミラ・ジョボヴィッチに似た美人さんだったので、ミラ姉さんとしておく。

音楽関係の友人を通じてミラ姉さんと知り合い…… たまたま酒の席で一緒したら意気投合。以来、月に3回くらい呼び出されるようになった。

ミラ姉さんは素面ではあんまり喋らない。声も低くて小さいし、表情も態度もクールってか、ぶっきらぼう。
スウィッチが入るのは日本酒。日本酒が入ると馬鹿話を延々と始め、延々と呑み続ける。ミラ姉さんからお呼びがかかったら、原則として平日は終電コース。次の日が休みだったら始発コース。

ミラ姉さんの仕事はデザイン関係。
よく髪やらシャツにスクリーントーンの小さな破片をくっつけていた。
「ミラ姉さん、トーンついてるよ」と指摘すると、「……ん。とって」。
男と女だから普通ならイチャついているように見えるのだが、私と姉さんだと「サルが毛づくろいをしているようだ」と笑われた。

私が貧乏で電話代払えずに止めちゃってると、わざわざ私のアパートまでやってきて酒と飯を奢ってくれた。
で、帰宅して自分の鞄を開けると、封筒に1万円札1枚とメモ「電話代払っとけ」。
後日、ミラ姉さんに1万円を返そうとすると、肩にグーパンチ。しかも、けっこう痛いやつ。
「そういうの、いいから」
で、飲みに行って「今日の会計は俺が……」と言った瞬間に、テーブルの下でスネを蹴られる。たしかブーツだった。マジで痛いやつ。
「年下に奢られたくない」
会計の時、私にそーっと金を渡し「会計しといて」。私が会計してるうちにミラ姉さんは店の外へ。私が店を出てすぐに、お釣りを渡そうとしたら、
「バカ。人目のないところで渡せよ。ってか、いらない。とっとけ」
言葉が少ないのでわかりづらかったが、とりあえず、私に恥をかかせないよう、私の男を立ててやろう、という気遣いのある人だった。

私もミラ姉さんに恩義を感じて、呼び出されれば即参上していた。
8月の夜の呼び出し…… ミラ姉さんの女友達が「ディスコに行ってみたい」というので、私もボディガードとして同行した。
渋谷は混んでるし、新宿はガラが悪い。とりあえず初心者だから、空いている池袋に行くか、と。
(30年前は、池袋にもディスコがあったのだ!)
あの時の格好は、ミラ姉さんはパンク、私はアロハにリーゼント、女友達は高原のお嬢様みたいなワンピース。
で、やっぱりというかなんというか、ホールで高原のお嬢様は大学生2人組にナンパされ、
ミラ姉さん「ぶっとばして」
私「押忍」
私が二人組の一人をぶっ飛ばしたら、当たり前だけど黒服店員が出てきて……
そしたら、ミラ姉さん豹変。
「なんか、あの二人が凄くしつこくってぇ、この人が助けてくれたんですぅ! 怖かったぁぁ! さらわれるかと思ったぁぁ!」
鼻にかかった甘えた声で、涙まで浮かべて店員に訴えるミラ姉さん。店員、二人組をつまみ出し、私たちはホールに残る。
私が(さっきのはなんだったんだ)と唖然としてたら、ミラ姉さんはウィスキーのストレートを飲みながらボソッと、
「オンナはこーゆー時、便利だよね……」

いつも、こんな感じだから、周囲からは「愛人とツバメ」と、からかわれる。酒の席でからかわれた時のミラ姉さんの言葉。
「アタシは、寒空の下で震えるシベリアンハスキーのコドモを見つけて保護したつもりなんだよ。ところが育っていくうちに、ハイイロオオカミだったんでビックリしてんだ」
一同、意味不明でポカーン。
どうも、ミラ姉さんが言いたかったのは、愛玩動物だと思ったら、凶暴な野生動物で面白かった、ってことらしいが、やっぱり意味はわからないし、今でも真意はわからない。
まあ、とにかく変なヒトだったけど、私は凄く面倒を見てもらっていた。

12月のある日、ミラ姉さんのボディガードとして、ライブハウスに行き、いつものように飯と酒を奢ってもらい、いつものように帰り道を送った。
その夜は本当に寒くて、ミラ姉さんのマンションが見えるあたりから雪がちらつきはじめた。
「寒いから、うちに泊まりな」とミラ姉さん。
オンボロアパート暮らしで風呂無しだった私は「ありがたいっす」と家に上がり込んだ。
初めて入ったミラ姉さんの部屋は1LDK。当時流行りのモノトーン。ベッドも家具もカーペットも真っ黒、まったく女性らしくない部屋。
姉さんがシャワーを浴びた後、私が入り、
シャワーから出ると、男物の新品のトランクスとTシャツ、そして男物のスウェット上下を用意してくれていた。
(まあ、綺麗な人だし、彼氏がいないわけないよな)と余計なことは聞かずにありがたく着させてもらった。
焙じ茶を飲んで、さ、寝るかとなって、私は当たり前のようにフローリングの床にゴロンと寝たら、
ベッドから「バカ、そこじゃ腰を痛めるぞ。コッチ来い」。

イヤイヤイヤイヤ!
そもそも一人暮らしの女性の部屋に
男が上がり込むのもアレなんだし、
泊めてもらうっていうのもかなりアレだし、
ましてや、一緒のベッドってのはアレすぎるでしょ!

で、私の頭の中で緊急会議発動。
致す? 致しちゃうのか?
イヤイヤ、これだけ恩義ある姉さんに手を出すなんて仁義にもとる!
でも、姉さんは美人だ。姉さんからベッドに来いって言ってるんだぞ?
わかった。ベッドには入ろう。恩義ある姉さんの言葉には逆らえない。しかし、致さない。俺はケダモノではないのだ。
本当か? 本当に我慢できるのか、自分? 姉さん、美人だし色っぽいぞ?
我慢する。我慢しなけりゃ男が廃る! 俺は男でござる!
「据え膳食わぬは男の恥」って言葉もあるぞ? これは間違いなく据え膳だぞ?
じゃあかぁしい! これが男の意地だっ!

以上、2秒ほどの脳内会議終了。
あえて、明るい口調で「は~い」とベッドに入った。

私がベッドの右側で壁側。
姉さんは左側で部屋側。
とりあえず、私は壁側を向いて、姉さんに背中を向けた。
イビキかいたら申し訳ないんで、姉さんの寝息が聞こえるまでは寝ないようにと思ってたのだが、いや、寝付けない。本当に心臓がドキドキドキドキと脈打つ。
そのうち、姉さんが背中にピタッとくっついてきた。
姉さんは寒いだけだ、寒いだけ。俺は湯たんぽなのだ。湯たんぽは動いちゃいけない。俺は湯たんぽ、俺は湯たんぽ……

たしか姉さんの部屋に入ったのが23時30分頃、シャワー浴びて焙じ茶飲んで、ベッドに入ったのが夜中1時過ぎ。
30分ぐらいして、姉さんが口を開いた。

「……辛くない?」
「だいじょうぶっす!」
「……ごめんね」
「だ、だいじょうぶっす」
「……ありがとう」

そのあと、姉さんは私の背中にしがみつくようにして、しくしく泣き始めた。
私は身体の向きを変えて、姉さんを左腕で腕枕し、右手で背中をさすりながら……
いつの間にか、寝てしまった。

次の日、朝10時ぐらいに起こされて、2人でファミレスに行った。
姉さんが頼むのは、いつも和風ハンバーグ定食。私はその日、ハンバーグミックスフライ定食を頼んだと記憶している。
で、真っ昼間っからビールを飲んだ。
定食のおかずをツマミにビール。たしか二人で中瓶を8本くらい空けた。
その後、姉さんが近くの駅まで私を送ってくれた。
で、駅前の西友に寄りたいという。姉さんは西友の中にあったミスターミニットで合鍵を作ってた。
駅の改札で、姉さんはつくったばかりの合鍵を私にくれた。
「持っておいて」
「押忍」
私がその合鍵を使ったのは、姉さんの具合が悪くて寝込んでいる時、買い物をしたり、家事をするためだけ。5回ほどだった。
それから2年ほど、私は姉さんと遊んだりしていたが、私もそれなりに忙しくなったりして疎遠になり……

23歳の時、知らない女性から電話がかかってきた。
「失礼ですが、どなた様ですか?」
「ほら、池袋のディスコに一緒に行った時の、ワンピースの」
「……ああ! あの時の! どうしたんですか?」
「うん。ミラちゃんからの伝言あずかってるんだ。ミラちゃん、田舎に帰るんだって。だから、マンションの合鍵は勝手に処分してって」
「え? ミラ姉さん、いつ、帰るんですか?」
「もう、帰っちゃったよ。先週、女友達だけのお別れ会やったの」
「ええーっ! そんなぁ。冷たいなぁ。ミラ姉さんの連絡先、教えて下さいよ」
「キミには教えちゃダメだって言われてるんだ」
「え? お、俺、なんか嫌われるようなことやっちゃったかな……」
「あのね、ミラちゃんが言ってた。『アイツは頑張ってるんだから、私がいたら邪魔になる』って」
「は、はあ……」
「お別れ会でね、ミラちゃん、ベロベロに酔っ払って、キミのこと泣きながら褒めてたよ。『アイツ、心臓ドキドキさせながら、それでも手を出さなかったんだよ』『手ぇ出しても良かったのに、バカだよね』って。偉いね、キミ」
「………」
「あのね、ミラちゃんのこと、ありがとうね。私がお礼言うのは違うかもしれないけど、ミラちゃんはキミに会えて本当に良かったんだと思う。
 ミラちゃんね、前の彼氏と色々あって、ちょっとビアンに走ってたこともあったんだ。
 実は私、そのお相手だったの。
 ほら、ディスコに行った時、あれはミラちゃんがビアンやめるっていうからさ、私、どうしても、どんな男か見たくってさ。
 ミラちゃん、男が大っ嫌いでね。でも、キミに会ってから、男って可愛いなあ、バカだなあって、笑って言うようになった。
 だから、ありがとうね」

2時間ぐらい電話で色々なことを聞いた。
ミラ姉さんは、妻子持ちだと知らないで男と付き合っていたこと。
子供が出来た時、相手が妻子持ちだと知ったこと。
子供をおろしてから不安定となり、精神科のお世話になっていたこと。
男ときれいさっぱり別れても不眠気味で、それで酒の世話になっていたことなど……
私の知らないことばかりだった。

カラオケに行くと、ミラ姉さんと私は柳ジョージが大好きなんで『フェンスの向こうのアメリカ』『ボトルネックが泣いている』『青い瞳のステラ』など、よく歌わされた。
だけど、いつも最後の締めは『コインランドリィブルース』だった。

俺たちは ただの魚さ
河の流れまでは 変えられない
流れてゆく 海もまたひとつだけ
だから その日だけが俺たちの すべて

ミラ姉さんは、この歌を愛していて、ふざけて歌ったりすると、けっこうマジな蹴りを入れられた。
だから、ハタチそこそこの私は真剣に歌っていた。


ミラ姉さんの話を最後に聞いたのは15年前。
昔、姉さんと一緒に行ってたライブハウスの閉鎖に伴い、最終日に私も顔を出しに行ったら、そこでたまたま古い知人と顔を合わせ、ミラ姉さんのことを聞いた。

ミラ姉さんは東北にある地元へ帰った後、
見合いをして、そこそこ金持ちの後妻になったそうだ。
きっと幸せに暮らしているんだと、私は堅く信じている。