透明人間


 浴衣を着た人とたくさんすれ違った。
 僕は遅いバスに乗るために改札から駅のバスロータリーに向かっていたのだが、まさかこんなに人が多いとは思わなかった。
 みんな綺麗な浴衣を着て、みんなニコニコして、親子連れも恋人もはしゃいでいる。釣ってきたヨーヨーをポン、ポンと弾ませ、歩道いっぱいに広がって歩くその様は百鬼夜行のように賑やかだ。父親と母親に手を引かれて歩く水色の浴衣の女の子は、もう眠いのか足取りもおぼつかない。よほど満喫してきたのだろう、頭から斜めにアニメキャラのお面をかけて、首から蛍光色に光るおもちゃをぶら下げている。両側にいる母親と父親は子供を励ましながらゆっくり歩く。美しい光景だったが、その全てが僕とは何の関係も無かった。

 今日の僕はこの集団とは何の因果も無く、ただ仕事に行ってきただけで、その帰りが遅くなったと思ったらこれだ。否応無しに見せつけられる美しい景色。僕はその楽しそうな顔の群れに一瞬だって混じれやしない。
 肩を縮めながらバスに乗り込む。いつもの5倍ほどの人が乗ってくる。おいおい勘弁してくれ、という言葉を口の中で転がし変な顔をする。なんだってこんな惨めな思いをしなきゃならないのか。今日の僕は祭りの背景ですらない。このバスの中は間違いなく「祭りの帰り」という瞬間であり、そこに僕はいない。その瞬間、僕はどこにもいなかった。どこにも属せなかったのならいないのと同じだ。今の僕はどこにもいない、誰でもない何かだった。
 バスの窓から見える夜に溶けるには、今の僕の全身真っ黒い服装は便利だった。左手で熱い肌を隠す。目を閉じると、僕は紛れもなくそこから消えてなくなった。