見てるのに気付かない文字のこと

私のノートは改行が足りなくて読みにくいなと、突然思った。縦書きでももうちょい改行入れるんじゃないかと思うくらいだらだらーっと文が繋がってるものが多い。完全に悪癖だ。
私の横書き体験はガラケーからだから、干支一回り以上の付き合いがある。あるのか。なんか何もかもに光陰矢の如しを感じるので昔の話はいやだな。
それはそれとして。
それなりに経験があって慣れてるはずなのに、いざ書いてると読む側の視点が抜けるからなかなかこわい。そして書いたものを忘れた頃に見返したときにはじめて読みにくさを感じるのだ。拙い内容に拙い文、書きなおしても拙さが微妙に変動するだけであまり意味をなしていない。
新聞を読むとき、縦書きと横書きがまじった面に違和感がないことを、微妙に奇妙なことだと思う。ウェブサイトでは概ね横書きでありながら、多種多様のフォントやサイズやレイアウトでわちゃわちゃしている。真面目に読んでたのが広告だとわかると途端に興醒めするようなこともあった。
読みやすさ伝わりやすさを整える専門職がいる。義務教育によって誰もがだいたい文字を読み書きできるなかで、書くことを兼業でやるひとも専業でやるひともいる。それらの人の作品を読んで、「このくらいなら自分にも書けるのでは?」と思うこともある。
ただ実際に書いて書き上げて形にする人はほんのひと握りだ。私にも書きかけで立ち往生した駄文が手元にたくさんある。書いてみようと試す人間も少数派なのかもしれない。試すこともせずに評論家気取りをしてしまいがちなのは何故だろう。知らない方が無責任に文句を垂れることができる、ひとたび書きあらわす側になった途端に己の傲慢さと向き合う羽目になる。たとえ自分しかいないとしても、恥をかくのは嫌だからな。自分の無知を突きつけられる不快感はどこから来るのか。
それはそれとして。
吐きたいだけ愚痴を吐く場にすると決めているので、読みやすさに気をつかうのも労力過多で割りに合わないと思う。少しでも気をつかって整えはじめると止まらないのを知っている。なにが言いたかったのかがぼやけるほど書いては消してを繰り返すので、なんかもうそれは別物だなあと。話が脱線して「それはそれとして」とかいって無理矢理繋がってるかのように見せかけたりするのも書きたいことを書き殴った結果だ。
少しは文章整えた方がいいのかと思ったのは完全に気の迷いだったな。整える気にもならない。もうなにを言いたかったかも忘れたから、今回はこれでおしまい。
どんなに些細でとるに足らないように見えても、何かしら形になるものを形にできるのは全員ではないし出来るのはえらいと思う。できない自分を心の中で罰する必要はぜんぜんないはずなんだけど、無限に僻んで無限に卑下してる。
私は愚か。人間は愚か。